昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

2018-01-01から1年間の記事一覧

ラッティ大司教の書簡ー(5)

1914年6月21日 我が妹よ、もうずいぶん長いことファーブル氏の健康について 知らせてくれていませんね。あなたはなぜ私がそれをこんなに気にかけて いるか知っているでしょう。 数日前に帰ってきたところなのですが、すぐにも確認したくてたまらなく なって…

閑話(4)ー地方のオークション

春にフランスの地方のマイナーなオークションに参加した。 ファーブルの資料が出品されていたからだ。 大体はパリなど大都市のオークションに吸い上げられるのだが、 今回のように時折、地方のオークションにも資料が出現することがある。 常にアンテナを張…

ラッティ大司教の書簡ー(4)

1914年5月31日 我が妹よ、今日はペンテコステの祭りですね。 精霊が使徒たちのもとへ降臨し、カトリック教会が世界に姿を現した記念日です。 それまでこのガリラヤ人たちは誇りを持ってはいませんでした。 無知で卑怯で、なんと野蛮なのか! イエス・キリス…

ラッティ大司教の書簡ー(3)

1914年5月28日 我が妹よ、サン・フランソワの修道女が明日の金曜、あなたの元に向かいます。 我らの大切な病人を看護する手伝いとなるでしょう。 彼とあなたのために満足しています。 オランジュ首席司祭も私の名のもとに彼に会いに行き、彼の状況を知らせて…

カトリック教徒への道のり

ラッティ大司教の書簡が掲載された雑誌には、晩年のファーブルの逸話も いくつか紹介されている。 やはりB.ドルサン女史の文から以下に引用する。 ファーブルの容体が芳しくないとの知らせに、ラッティ猊下はアルマスを再訪 した。病人は猊下にその喜びと感…

ラッティ大司教の書簡ー(2)

1914年5月23日の書簡 ファーブル氏が私の手紙をお喜びになったとのこと、とても嬉しく思います。 どうか、私がしばしば彼のことを思っていると伝えて下さい。そして彼の 科学的作品について思いをめぐらします。偉大ですばらしく、非常に有用で、 この先も長…

ラッティ大司教の書簡ー(1)

アヴィニョン大司教ラッティ猊下の書簡 1914年5月19日 我が妹よ、昨日私が訪問した際に多大なる喜びを感じたことを どうかファーブル氏に伝えて下さい。 今朝、私は彼のために聖なるミサを唱えました。 毎夜、私は彼と心を一つにし、救世主の祈りを唱えてい…

ラッティ大司教の書簡ー(序)

いきなり晩年の話になってしまうが、今までのブログでずっとファーブルと 宗教に関係する内容が続いているので、ラッティ大司教の書簡については ぜひ先に触れておきたい。 これらの話は伝記などでも言及されていないので興味深い資料かと思う。 ファーブル…

ファーブルの最初の教科書(補遺)

「ファーブルの最初の教科書」という題で前に記事を書いた。 1862年刊行の農業化学基本講義というテキストだが、最近もう1冊入手することが でき、さっそく序文前頁にあるサイン部分を見たが、予想通りファーブル手書きの サインがあった。やはりファーブル…

ファーブル植物記

まだアヴィニョンを追われる前の1867年にファーブルはファーブル植物記、 原題「薪の話」を出版した。アシェット社やドラグラーヴ社からでなく ガルニエフレール社からの出版だ。この出版社の書籍はサイズが大きくて ページ数も多く挿絵がよく使われている。…

愛読書ラブレー

時間が取れたので神田の古書まつりに行ってきた。 歩道にも店が出ていて老若男女、怪しそうな古書好きっぽい人など たくさん見かけた。やはり本は良いなとあらためて感じる。 素晴らしい内容なのに絶版のままで埋もれているという本はたくさんある。 せっか…

ファーブルの最初の教科書(続)

「農業化学基本講義」では、 空気、炭酸、植物の呼吸、水、土壌、肥料、燐、腐食土、石灰と泥灰、水引き、 排水、輪作など25章に及ぶ話題が化学的知識を交えてわかりやすく説明されている。 ただ個人的に最も興味を覚えたのは本の最後に加えられている「結論…

ファーブルの最初の教科書

アヴィニョン時代にファーブルは教科書を10数冊書いている。 全体では昆虫記を除くと71冊ほどになり、ファーブルの原稿で最もよく見かけるのが この教科書の一部だ。ファーブルの手を離れているはずなので編集者あたりからの 流出なのだろう。 資料を探すよ…

閑話(3)ーファーブル先生の頭が…

セリニャンはファーブルが晩年を過ごしたアルマスがある村。 正式にはセリニャン-ドゥ-コンタでヴォークリューズ県に151ある コミューンの1つだ。 アヴィニョンから直線で25kmほど北に位置する。 中心部の役所から50m南の通り沿いにファーブルの像がある。 …

閑話(2)ーサン=レオン村のファーブル像

アヴィニョンから西北西へ直線で100㎞程のところに アヴェロン県サン=レオン村がある。 ここにはガヴァルダ夫人の尽力によりファーブルの生家が 博物館として残されている(7~8月のみ開館しているらしい) その生家の前にマレー作のファーブル像がある。 マ…

ファーブルの見解ー学校教育の無償化について(続々)

おそらく肘の擦り切れた作業服の中では、将来、国を救うことになる 勇気や健気さが脈打っていることでしょう。 私はそれを見てきたし、今でも毎日それを見ています。 貧困は恥ずべきことではなく、しばしば私たちを前に進ませる いわばレコード盤に音を刻む…

ファーブルの見解ー学校教育の無償化について(続)

払っている者たちは自分が無料の者より教師からの厚遇を受けられると 信じるでしょうし、良い席は自分のためにあるのだとそれを要求する ようになるでしょう、そして試験の時はいつも自分が第1列目に座れる と思い込むでしょう。 無料の者は自分の惨めさを恥…

ファーブルの見解ー学校教育の無償化について

一般向けの本などでファーブルがあるテーマについて書く場合、 対話形式で読者が理解しやすいように話を進めていくことが多い。 出版を予定していたと思われる原稿の中に教育に関わる内容のものが あったので抄訳を掲載する。特にデュリュイの教育改革とも関…

デュリュイ対デュパンルー(続々)

女子中等教育は女性たちの管轄です。男性たちにあれこれして欲しくありません。 私は彼女たちが男性に運営させられている授業に出たり試験を受けたり 賞の授与式に出たりして欲しくありません。 女子中等教育は全般的に宗教的なものであり、純潔さを残してく…

デュリュイ対デュパンルー(続)

デュリュイ氏は少しも困った様子ではありません。 「実現には全てがシンプルで費用も掛からない」と彼は言っています。 フランスには3000人の教授陣がおり、7000人の高校、中学校の男子に 教えています。彼らに女子の中等教育の任務を与えてみましょう。 デ…

デュリュイ対デュパンルー

デュパンルー(1802~1878年)はオルレアンの司教。 特にカトリック教育に貢献してきたので デュリュイの教育改革には猛烈に反対をした。 Felix Dupanloupで検索すると画像が出てくるが、 表情は優しさと厳格さと両方混在しているように見える。 筆も弁も立った…

デュリュイとの出会い

1863年にデュリュイは文部大臣としてナポレオン三世に抜擢された。 1865年には視学官として南仏を来訪しファーブルと遭遇している。 お互いの印象は良かったようで、その後デュリュイの計らいで ファーブルはナポレオン三世に謁見することとなる。 堅苦しい…

ジョン・スチュアート・ミル

ファーブルとの関わりの中で考えると最も有名な人物かもしれない。 哲学者、思想家、経済学者、東インド会社勤務、大学学長…肩書はいくらでもある。 静養を兼ねて1858年に南仏に来たがアヴィニョンで最愛の妻を亡くした。 妻ハリエット・テイラーはミルが抑…

ロベルティ農場

ファーブル一家が世話になったのがロベルティ農場なので 触れておかなくてはならない。 ヴォクリューズ伝記辞典という大部の書籍がある。 これはヴォクリューズと関連する名士を集め紹介しているが、 最もページを割いているのがトーマ・フレール商会である…

ファーブルの目論見

ファーブルは安月給におさらばして大学教授へのステップとして まず金銭的に困らない状態を目指した。 1860年にはアカネ染料の製造に関する特許を取得している。 さすが理系の先生だ。 ファーブルはきっとこの時アカネ工業化の成功を夢見たことだろう。 前記…

弟フレデリックの仕事

ヴォークリューズ県年鑑を見ていると1861年頃から 弟フレデリック・ファーブルの名前が見られる。 既に小学校の校長は辞していたようで、1865年版には ヴォクリューズ・ドック( 港湾倉庫)の理事に名を連ねている。 ローヌ川は近いが海は無いのでドックは単…

アヴィニョンの住所

ファーブルがアヴィニョン在住の頃の資料を探したことがある。 とにかくファーブルの名前を見つけると、 何か新しい発見をしたような気分になれるので、 ひたすら資料を探しページをめくっていた。 その中に毎年発行されていたヴォクリューズ県年鑑という書…

レオン・デュフール

ツチスガリが幼虫の餌としてゾウムシを腐らせずに保存する 秘密をファーブルが解き明かしたのは、デュフールの論文が ヒントになっている。 昆虫記第1巻に出てくるのでぜひ読んでいただきたい。 デュフールの名をネットで検索するとすぐ肖像は出てくる。 白…

閑話 ( 1 ) ーファーブル家の犬

写真はセリニャンのファーブル邸である。 年代が不明なのが残念なのだが乾板でなく セルロイドフィルムを使っているので 1889年以降ということになる。 下方に白っぽい犬が寝そべっている。 中型からやや大きめの犬に見える。 尻尾は太く鼻と足は短めで垂れ…

コルシカ島のファーブルー レヌッチへの手紙(続)

親愛なるレヌッチ あなたが勇敢な探検家レヴィとともに用意してくれた荷物を受け取った時、 私は前代未聞の高熱にうなされベッドに寝たきりでした。 私はあのツグミの腿肉さえ食べられなかったのです。 ハーブティー以外何も他にとることなくほぼ2週間を過ご…