ファーブルは安月給におさらばして大学教授へのステップとして
まず金銭的に困らない状態を目指した。
1860年にはアカネ染料の製造に関する特許を取得している。
さすが理系の先生だ。
ファーブルはきっとこの時アカネ工業化の成功を夢見たことだろう。
前記事に書いたが、弟がアカネを保管するドックの理事となり、
自身はアカネ製造の特許を取り、更にロベルティ農場とも親しいとなれば
上手く軌道に乗れば大金が舞い込むはずだ。
準備は万端整っていた…
だがこれでは我々が知るファーブルではない。
これで成功などしていたら昆虫記は生まれなかったはずだ。
1868年にアカネの主成分アリザリンをドイツのBASF社が合成してしまう。
こちらの方が安いコストで済んでしまうのでアカネから精製する
方法では歯が立たない。
ファーブルの夢は露と消えた。
しかしこうでなくては…
なぜならここからファーブル先生の底力が発揮されて行くのだから。
ファーブルの書簡、宛先不詳。
(内容)
親愛なる友へ
…中略
この間、私たちの友人シャペルと会いました。おそらく彼はアプト地方の
硫黄鉱石の粉砕器を設置するためにアヴィニョンに移住するでしょう。
J.H.ファーブル
(アプトはアヴィニョンの東40kmほどに位置する。
アカネの精製で使用する硫酸の合成に硫黄を使うということか?)