昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルと宗教

ファーブルの天才論

昆虫記第6巻3~4章にはファーブルの天才に対する考え方が書かれている。 天才というとその優秀な才能を持った人物のことを指している印象を受けるが、 ここでは主に生まれ持った特別な才能、天賦(てんぷ)の才を意味している。 ファーブルは自身の昆虫に対…

ファーブルと聖書ーパウロ

今までのブログで何度か述べてきたが、ファーブルはカトリックの様式に従って逝去 したものの、真のキリスト教徒ではなかった。 これはファーブル自身も述べていることであり、晩年アヴィニョンのラッティ大司教 が直接訪ねて来たり、書簡をファーブルに送り…

エミールーサヴォワ助任司祭の信仰告白

前回のブログでルソーの「エミール」に触れた。ファーブルとも関連のありそうな 部分がまだあるのでもう少し触れておきたい。 「エミール」は小生には少々くどすぎるが、その第4編には作品の白眉といっても よい「サヴォワ助任司祭の信仰告白」という長文が…

ファーブルの疑問ーヨブの苦難

以前「ファーブルの疑問ーセネカの答え」というブログを書いた。 ファーブルの疑問は、神がこの世を創造したのなら、悪の存在や食物連鎖の 問題を含め、なぜこんな不完全なシステムを創り上げたのかというものだ。 それに対してセネカの「摂理について」とい…

ファーブルの墓の謎ーファーブルの格言

セネカの倫理書簡集全124通の中には、死や魂について興味深いことが何度も 書かれている。もちろんファーブルも読んでいたことだろう。 第82通より わたしたちは自分が知っているこの世界を良く知っている。しかしどのように 退去するのか。またその後行くと…

ファーブルの疑問ーセネカの答え

ファーブルはこの世界に対する疑問を持っていた。 つまり、神がこの世を創ったのならなぜ災いや不幸があるのか?というものだ。 これは他の生物を糧にすることでしか生きられないような、不完全なシステムに なぜ縛られているのか?という問いともリンクする…

ファーブルと食物連鎖のこと

ファーブルは意外だが肉食をあまり好まず、果物や野菜、少量のブドウ酒や ラム酒を嗜好したという。これは決して菜食主義というわけではなくて、 身体のことを考えて偏らないようにしていたということのようだ。 息子のポールは血がしたたるような肉が好きだ…

ファーブルの墓の謎ーセネカの墓碑銘

ファーブルの墓石側面にローマ帝国の哲学者セネカの言葉が刻まれている。 OVOS PERIISSE PVTAMVS PRAEMISSI SVNT (quos periisse putamus praemissi sunt) 我々が死んだと思っている人たちは、我々より先に遣わされているのだ。 (完訳ファーブル昆虫記10…

ファーブルの神

ファーブルの宗教観についてはずいぶん前から考えている。 キリスト教徒ではないのでないか?ということは以前から言われているが、 はっきりと断言しているものを見たことがないので興味を持つようになった。 宗教観は極めて個人的なものなので周囲がとやか…

ファーブルの墓の謎ーDraped Urn

ファーブルの墓石で最も目立つのは十字架の代わりに上部に設置されている オブジェである(fabre tombe で画像検索してみて下さい)。 最初に見て思ったのは女性の頭部に似ていると感じた。 南仏はマリア信仰が残っている地域である。まだ何も考えてなかった…

ファーブルの墓の謎

ファーブルの墓石を最初に見た時の印象はやけに新しいなぁ…と思ったのを 憶えている。ファーブルが亡くなる時に建立したのだからそれほど古くはない のだが、それにしても壁面が白くてきれいである。管理が良かったのか、質の良い 石でも使用しているのだろ…

ラッティ大司教の書簡ー(7)

1914年7月20日 我が妹よ、先日の手紙にはまだ続きがあります。今日はそれをしたためましょう。 あなたを介してファーブル氏と斯様(かよう) に話すことができるなら、それはこの 敬うべき老人が精神の明晰さをすべて保っているということです。 そしてお気に…

ラッティ大司教の書簡ー(6)

1914年7月15日 我が妹よ、ファーブル氏の健康状態を知らせていただき、神の息吹を吹き込まれた 思いです。ひどい暑さにも彼がさほど苦しんでいないとのこと、大変喜ばしく拝読 いたしました。神のご寵愛を受けている彼ですから、寄る年波でさえ彼のたくまし…

ジャンヌ・ダルク像とファーブル

雑誌「クリスマス」1919年のB.ドルサン女史の記事によると、ファーブルは 1914年の春にジャンヌ・ダルク像の建立を願うサン=レオンの司祭宛に書簡を 送っている。もうファーブル自身の力で文章を書くことは出来なかったはず なので、娘のアグラエが代筆した…

ラッティ大司教の書簡ー(5)

1914年6月21日 我が妹よ、もうずいぶん長いことファーブル氏の健康について 知らせてくれていませんね。あなたはなぜ私がそれをこんなに気にかけて いるか知っているでしょう。 数日前に帰ってきたところなのですが、すぐにも確認したくてたまらなく なって…

ラッティ大司教の書簡ー(4)

1914年5月31日 我が妹よ、今日はペンテコステの祭りですね。 精霊が使徒たちのもとへ降臨し、カトリック教会が世界に姿を現した記念日です。 それまでこのガリラヤ人たちは誇りを持ってはいませんでした。 無知で卑怯で、なんと野蛮なのか! イエス・キリス…

ラッティ大司教の書簡ー(3)

1914年5月28日 我が妹よ、サン・フランソワの修道女が明日の金曜、あなたの元に向かいます。 我らの大切な病人を看護する手伝いとなるでしょう。 彼とあなたのために満足しています。 オランジュ首席司祭も私の名のもとに彼に会いに行き、彼の状況を知らせて…

カトリック教徒への道のり

ラッティ大司教の書簡が掲載された雑誌には、晩年のファーブルの逸話も いくつか紹介されている。 やはりB.ドルサン女史の文から以下に引用する。 ファーブルの容体が芳しくないとの知らせに、ラッティ猊下はアルマスを再訪 した。病人は猊下にその喜びと感…

ラッティ大司教の書簡ー(2)

1914年5月23日の書簡 ファーブル氏が私の手紙をお喜びになったとのこと、とても嬉しく思います。 どうか、私がしばしば彼のことを思っていると伝えて下さい。そして彼の 科学的作品について思いをめぐらします。偉大ですばらしく、非常に有用で、 この先も長…

ラッティ大司教の書簡ー(1)

アヴィニョン大司教ラッティ猊下の書簡 1914年5月19日 我が妹よ、昨日私が訪問した際に多大なる喜びを感じたことを どうかファーブル氏に伝えて下さい。 今朝、私は彼のために聖なるミサを唱えました。 毎夜、私は彼と心を一つにし、救世主の祈りを唱えてい…

ラッティ大司教の書簡ー(序)

いきなり晩年の話になってしまうが、今までのブログでずっとファーブルと 宗教に関係する内容が続いているので、ラッティ大司教の書簡については ぜひ先に触れておきたい。 これらの話は伝記などでも言及されていないので興味深い資料かと思う。 ファーブル…