昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

父アントワーヌからの手紙

ファーブルの父親の肖像が残っているが、骨太で頑丈そうな顔つきである。 身体も丈夫でアルファベットのIの文字のように背筋がしゃんとしていたそうだ。 1800年にマラヴァルで生まれ1893年1月にセリニャンで逝去している。 およそ92歳の人生だったのでファ…

コルシカ島ーレヌッチからの手紙(続々)

レヌッチからファーブル宛のもう一通の手紙は1853年11月8日の日付である。 一通目の手紙から1年8ヶ月も離れている。 この間どの程度やり取りがあったかは不明である。 ファーブルはマラリア回復後に約束通りいったんコルシカ島へ戻るが、数ヶ月で アヴィニョ…

コルシカ島ーレヌッチからの手紙(続)

(一通目の手紙…続き) このように、まず発熱があり、次に試験があり、また最後に熱が出たという訳で、 長くご無沙汰していたのには3つの正当な理由があるのです。 先生はわたしにドノヴァニィ巻貝と二枚貝のスケッチをお尋ねになりました。 もしかしたらわ…

コルシカ島ーレヌッチからの手紙

ファーブルはコルシカ島赴任中にコルシカの貝類学および植物学についての出版を 計画していた。そして地元の協力者を得て貝や植物などの収集に励んでいた。 美しい自然を前にしてファーブルの若き探究心は無限に膨らんでいたことだろう。 まだこれといった業…

ファーブルの家系図ー二度目の結婚

最初の結婚で伴侶となった教員のマリ=セザリーヌは、64歳の1885年にセリニャン で亡くなった。仕立て屋の娘として生まれ、23歳の1844年にファーブルと結婚して から40年以上にわたり苦楽を共にしてきたパートナーだった。 死因については不明で、ファーブル…