昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ロベルティ農場

ファーブル一家が世話になったのがロベルティ農場なので

触れておかなくてはならない。

 

ヴォクリューズ伝記辞典という大部の書籍がある。

これはヴォクリューズと関連する名士を集め紹介しているが、

最もページを割いているのがトーマ・フレール商会である。

創業者はシャルル・トーマで弟のジョゼフと共にその名の通り

兄弟で会社を立ち上げ大きくした。

1821年にはアヴィニョンから北東に数キロのル・ポンテにある

ロベルティ城を購入。その後も不動産を取得し続け

200 haを超えたという。城周辺は農場と牧草地になっていた。

 

パリにも支社を設立しアヴィニョンで作った絹織物を

売り、アカネ染色にも手を拡げた。

アカネは根をそのまま取引する場合と粉状にする場合、

更に無駄なものを取り去り抽出されたガランシン

と呼ばれる状態で取引する場合があった。

 

途中で弟は亡くなるがシャルルは精力的に事業を拡大し

リヨン支社も立ち上げ絹織物の販売に益々力を入れ、

更にガランシン工場なども建てた。

シャルルの息子もジョゼフというのでややこしいが

事業に参加させ自身の後継とした。

 

特筆すべきは人工アリザリンが開発された後も

使用権を買い取り人工アリザリン工場を建てている

ということだ。他にも数多くの工場を作り地域産業に

貢献し多くの賞を受賞している。

 

クリヨン運河もそうだが、灌漑用の運河の建設は

ル・ポンテ地域を肥沃にしマラリアの多かった

住民の健康と生活を守った。

 

ちなみに1860年代、創業者のシャルル・トーマ氏は

ファーブルと同じアヴィニョンのマス通りに住居を持っていた。

肖像が残っているがとても恰幅の良い人だ。

1787年に生まれ1871年に亡くなっているから

既に70歳を超えている。

肩書は仲買人、まだ積極的に活動していたようだ。

 

きっと同じ通りのファーブルと行き来していたことだろう。

ファーブルは彼にアカネの夢を語っていたのではないだろうか。

安月給で厳しい時期の一家を支えてもらったのだから、

ファーブルの人生の中でも恩人の一人と言っていいかもしれない。