ファーブルとの関わりの中で考えると最も有名な人物かもしれない。
哲学者、思想家、経済学者、東インド会社勤務、大学学長…肩書はいくらでもある。
静養を兼ねて1858年に南仏に来たがアヴィニョンで最愛の妻を亡くした。
妻ハリエット・テイラーはミルが抑うつ状態だった時に精神的支えとなった人だから
先に旅立たれたというのは辛かったかと思う。
その後は妻の眠る墓の近くに住み、イギリスとフランスを行き来したが、
自身も1873年、66歳の時に丹毒という感染症でアヴィニョンで亡くなっている。
丹毒は主に顔面の皮膚感染症だが抗生物質の無い時代では致死率は高かった。
亡くなる直前まで一緒に植物採集をしていてファーブルとはウマが合ったようだ。
ファーブルがアヴィニョンから出ていくことになったときに、
信頼しお金を融通してくれたのはミルだったから、
ファーブルの人生の中でミルもまた恩人の一人と言える。
ミルの書簡、建築家ジョン・ヘンリー・チェンバレン宛 1868年アヴィニョンより。
チェンバレンが幹事を務めているミッドランド研究所での講義についてミルの返事。
「非常に光栄なことだが、仕事が自分と自然とのつながりを妨げていることを
残念に思っている。」といった内容。
- 作者: ジョン・スチュアート・ミル,村井章子
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