昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

レヌッチ

コルシカ島ーレヌッチの消息

”コルシカ島のファーブルーレヌッチへの手紙” や ”コルシカ島ーレヌッチからの手紙” などレヌッチという人に関するブログを以前書いた。 レヌッチはファーブルのコルシカ島時代の教え子で、その後ファーブルと交流を続け 貝類収集の手伝いをしていた人である…

コルシカ島ーレヌッチからの手紙(続々)

レヌッチからファーブル宛のもう一通の手紙は1853年11月8日の日付である。 一通目の手紙から1年8ヶ月も離れている。 この間どの程度やり取りがあったかは不明である。 ファーブルはマラリア回復後に約束通りいったんコルシカ島へ戻るが、数ヶ月で アヴィニョ…

コルシカ島ーレヌッチからの手紙(続)

(一通目の手紙…続き) このように、まず発熱があり、次に試験があり、また最後に熱が出たという訳で、 長くご無沙汰していたのには3つの正当な理由があるのです。 先生はわたしにドノヴァニィ巻貝と二枚貝のスケッチをお尋ねになりました。 もしかしたらわ…

コルシカ島ーレヌッチからの手紙

ファーブルはコルシカ島赴任中にコルシカの貝類学および植物学についての出版を 計画していた。そして地元の協力者を得て貝や植物などの収集に励んでいた。 美しい自然を前にしてファーブルの若き探究心は無限に膨らんでいたことだろう。 まだこれといった業…

コルシカ島のファーブルー レヌッチへの手紙(続)

親愛なるレヌッチ あなたが勇敢な探検家レヴィとともに用意してくれた荷物を受け取った時、 私は前代未聞の高熱にうなされベッドに寝たきりでした。 私はあのツグミの腿肉さえ食べられなかったのです。 ハーブティー以外何も他にとることなくほぼ2週間を過ご…

コルシカ島のファーブルー レヌッチへの手紙

ファーブルは身体の丈夫な人だった。 その彼が晩年を除いて生涯に2度倒れている。 最初がコルシカ時代のマラリア感染。 2度目が息子ジュールを失った時の重症肺炎。 マラリアについては本土で休養し驚異的な回復を示し 島に戻るが結局アヴィニョンの高校へ転…