昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

2022-01-01から1年間の記事一覧

閑話(12)ーその後

九月末に体調を崩してずいぶん間隔が空いてしまった。 仕事中に急に茶色の蛇のような蠢くものがたくさん視野に入り、眼に何か入ったのか と思ったがそうではないことはすぐに分かった。 飛蚊症のレベルではなく、これはまたまずいことになったと急遽仕事を切…

椎名其二ーフランスから若き日の書簡

この夏に庭にあったイタリアンパセリにイモムシがたくさんついていた。 緑と黒の線が鮮やかなキアゲハの幼虫である。触ると怒ったように臭角なるものを出 して、臭いにおいを何度か嗅がされた。ムシャムシャと葉を食べて、毎日見るたびに 体がひと回り大きく…

最初のファーブル伝

ルグロ博士の書いたファーブルの生涯、いわゆる ”ファーブル伝” は1913年が初版だ と前ブログまでで言及してきたが、実はこの三年前の1910年に最初のファーブル伝と 言えるものが同博士によって刊行されている。 題は " J.-H. Fabre naturaliste " (J.-H. …

ロマン・ロランの書簡ーファーブル伝

今年初めに入手できたファーブルの原稿があるが、いまだに届かない。輸出許可が下 りるのに時間がかかるので、根気よく待っていたがさっぱり連絡もない。 さすがにこちらから連絡してみたが、運送業者は別なので配送はそちらで手続きする ようにというメール…

ファーブルの格言ー De fimo ad excelsa 貴き高みへ

題に掲げた言葉はラテン語で、これを見てピンとくる人は、ほとんどいらっしゃら ないのでないかと思う。相当なファーブル通でも知ってる人は少ないはずで、なにせ 邦訳されていないのだから当然である。小生もたまたま、ルグロ博士の「ファーブル 伝」の原書…

ルグロ博士からボルドーヌへの書簡

ルグロ博士は外科医でありながら政治家でもあり、ファーブルの門下に入って1913年 には「ファーブル伝」を刊行している。また、ファーブルの終の棲家であるアルマス の保全に尽力したとされていて、ファーブルが後世に伝えられるにあたって、重要な 仕事をさ…

ファーブルからボルドーヌへの書簡(続)

引き続き書簡を紹介する。 (ファーブルからボルドーヌへの書簡、ニ通目) 1913年9月18日、セリニャン 親愛なる友へ、 親切に送っていただいた美味しい葡萄の箱を無事に受け取りました。心からお礼を申 し上げます。あなたは私と再会することをとても楽しみ…

ファーブルからボルドーヌへの書簡

ルグロ博士のファーブル伝を読むと、コルシカ島から帰還後のアヴィニョン時代に ファーブルが特に親しくした生徒として三人の名前が出てくる。もちろんファーブル 先生は多くの生徒と関わったはずだが、一緒に昆虫観察などに出かけた間柄として 特に交流が深…

アルベール・ヴェシエール

確定申告に手間取り、コロナの流行にあたふたし、映像を通してだが人間の愚かさを 見せつけられるに至っては、人間とはやはり救われないものなのかと、小生の抑鬱な 気分はますます強くなってしまった。ただ、ひとりで落ち込んでいても何が変わる わけでもな…

エルツェン教授への反論ードヴィヤリオ(続)

ファーブル氏は確かに観察の専門家であり、科学的手法にも精通しています。彼は、 帰納的な方法を誇張することで、どのような間違いを犯すかを知っています。 さて、いくつかの孤立した事実から一般化に反する結論を出すことは、自分自身を 一般化することで…

エルツェン教授への反論ードヴィヤリオ

エルツェン教授からファーブルへの書簡に対し、ドヴィヤリオはファーブルに代わり 反論の投稿を行なっている。1883年の科学レヴュ―という雑誌で、やはり心理学の テーマ部分である。なかなかドヴィヤリオの文章は見つけられないので、参考のため 紹介してお…

ファーブルへの書簡ーエルツェン教授(続)

さて、すべての事実が簡単に観察できるわけではなく、「偶然の観察に頼ったり、 幸運な偶然を当てにしたりしないことが望ましい」(有名なカナダ人、ボーモントの 胃瘻のように)ので、「観察を重ね一つ一つ確認し、事実を誘発し、先行するものに ついて尋ね…

ファーブルへの書簡ーエルツェン教授

ブログ「アヴィニョンの生徒たちードヴィヤリオ(続)」の中で触れたように、 ローザンヌの生理学者であるエルツェン教授からファーブルへ書簡が送られた。 これに対してファーブルは不信感を抱き返信をせず、この書簡は科学雑誌レビューに 投稿される。つま…