1914年5月23日の書簡
ファーブル氏が私の手紙をお喜びになったとのこと、とても嬉しく思います。
どうか、私がしばしば彼のことを思っていると伝えて下さい。そして彼の
科学的作品について思いをめぐらします。偉大ですばらしく、非常に有用で、
この先も長く残っていくでしょう。しかし彼の容体や苦しみについても思いを
馳せます。重荷が少しでも軽くなれば良いのですが。
パスカルは偉大な天才であり発明家でしたが(ファーブルもよく知っています)、
彼もまた死の直前、苦しんだ人なのです。彼は「病の善用」という論説を
著しました。その本においてキリスト教徒は、学者のように偉大で揺るぎない
ように見えます。科学よりも病気のおかげで、我らの聖なる書物のおごそかな
表現によれば、彼は「主の支配の中に入っていく」ことができたのです。
ファーブル氏のまっすぐで誠実な魂は、同じような道をたどると思います。
その証拠に、夜ごとの祈りを、私も彼とぴったり一緒に唱えています。
なぜなら、「神の御手のうちに自分の魂を置く」、それこそが、主の支配、
主の視界、主の意志の中に入っていくことなのです。その結果、主が我らに
お命じになった全てのことを行うことになり、間違いなく主の永遠の中に行く
ことができるでしょう。御言葉と御子、つまり我らの主イエス・キリストの
位格において、主がつかわされた仲介者がいるのはこういうことなのです。
キリストはおいでになり、越しゆく時代の者に二十世紀も前から絶え間なく
言い続けておられます:「働き、うちひしがれている者よ。我のもとへ来たれ。」
彼のもとへ行った魂を、主は助けて下さったのです!
主はおっしゃいました:「私は道であり、真実であり、人生である。我に付き
従え。」かくて魂は毎日、主に付き従い、そして主は魂を惜しみない犠牲に駆り
立てておられます。
主はさらに言われました:「ほんのわずかでもあなたたちが人の子にすること、
それはあなたが私に対してしていることなのです。」
主に服従するため、気に入られるため、魂は慈悲の最上の行為に身を捧げました!
こうして二千年もの間、それは続いているのです!この救世主の永遠の行為を主が
なされていなかったとしたら、哀れな人間はどうなっていたのでしょうか。
あなたの大切な病人の魂は、カルヴァリーの丘から来る光や、神の子や聖人を生み
出す恩寵に心を惹かれていますね。
ああ!彼は救世主の呼びかけに耳を傾けてくれるのですね!
パスカルは心の底から自分に語りかける主の話を聞いていました:
「あなたのために私はこれほどの血の涙を流したのです。」
我が妹よ、あなたが奉仕する者の魂は贖罪の秘跡の中に血の涙を流しているのです。
彼の病ですら贖罪をその魂までもたらす手段であり、神の命、決して滅びることの
ない命、我らの死を変容させ、あらゆる衰退の中を通過させてくれる命を彼に
注ぐことができるでしょう。
このような言葉が少しでもファーブル氏のためになり、その苦痛に安らぎを
わずかでももたらせると、どうして私は思っているのでしょうか。わかりません。
しかしとにかくこれを彼に読んでください。そして、私の大いなる好意の証として
届けていると伝えてください。
(p.s.)
パスカルは17世紀の哲学者、28歳で回心しており数学者でもあるので
書簡で引用されたのかもしれない。
8行目「病の善用」は「病の善用を神に求める祈り」と思われる。
(パスカル全集第二巻参照)
カルヴァリーの丘;ゴルゴタの丘
恩寵;神の恵み、神の人間への働きかけ。
贖罪;キリストの生と死と復活を通じて、神の恩恵として実現される
人間の罪からの解放と神との交わりの回復。(ブリタニカ国際百科事典)
雑誌 Les Annales (1915年10月24日号) 掲載。最晩年の写真 10月11日逝去。
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