昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

デュリュイ対デュパンルー(続々)

女子中等教育は女性たちの管轄です。男性たちにあれこれして欲しくありません。

私は彼女たちが男性に運営させられている授業に出たり試験を受けたり

賞の授与式に出たりして欲しくありません。

女子中等教育は全般的に宗教的なものであり、純潔さを残してくれる

この教育に世話になっていると言えます。

私は将来において女性の自由な思想家を育成して欲しくありません。

 

私たちは困難が来ることを予想して明白で公然の攻撃、または隠されて

深い所にある攻撃を押し返さなくてはいけないのです。

我らの主は、我らの敵が畑に毒麦を撒くのは夜と睡眠の間だ、と警告しました。

私たちも自警しましょう、いつも、いつも。

私たちの人生とは長い覚醒なのですから。

 

私たちは危険な教義が実践され試用され運び伝えられ、奥深い小さい村々に

少しづつ根付いていく現場を押さえるのです。

私たちの義務は、人々に気に入られなくても恐れずに手加減を加えずに

大きな声で今見えることを話すことです。

 

閣下、私にこの深刻で悲しい話題に注意を促していただきまして

ありがとうございます。

私からの最も忠実で献身的な尊敬の念をお受け取りください。

               フェリックス、

                オルレアン司教

 

以上

文字ばかりで長くなってしまい読みにくくなってしまった。

おまけに随分と短縮したので意味が通じにくい部分が多々あると思う。

ただ当時のおよそのニュアンスが伝われば良いと考えて書いた。

書簡は1867年10月30日の大学区長宛の通達に反応したものと思われる。

デュパンルー司教の話だと若い女子と男性教師が同じ環境にいることも

許されないといった感じに受け取れる。

19世紀では当然のことなのかもしれないが、前回ブログに記載されている

ように、講義の上手な男性教師が女性の前で話をすることさえまずいとなると

人気を博したファーブルの講座は完全にアウトなんだろうなと思われた。

 

ファーブルが植物の受精の話をして教会などから反発を受け、

アヴィニョンを追われたという話を最初に読んだ時は、ファーブルに罪は無く

デュリュイとカトリック教会の争いのとばっちりを受けたんだろうくらいの

印象だったが、このデュパンルー司教の主張を読んでしまうと、

男性講師が女子に受精の話など失神してしまうような事件になるだろうと感じた。

 

しかし、何もかも上手く行けば我々の知るファーブル先生は存在しなかった。

アヴィニョンで起きたことはファーブルの大きな岐路の一つだったと思う。