ファーブル家
昆虫記第6巻3~4章にはファーブルの天才に対する考え方が書かれている。 天才というとその優秀な才能を持った人物のことを指している印象を受けるが、 ここでは主に生まれ持った特別な才能、天賦(てんぷ)の才を意味している。 ファーブルは自身の昆虫に対…
ファーブルが結婚に反対した義理の息子ソーテル氏について補足しておく。 ソーテル氏はファーブルの娘クレアと死別した後、やはり未亡人のジョゼフィーヌ という女性と再婚している。二人は娘ジャンヌを授かり、彼女がソーテルの名を 受け継いだ。 このソー…
昆虫写真家の海野和男先生が昨年制作された「ファーブル昆虫記の世界」という 美しい自費出版の冊子を読んでいたのだが、ソーテル氏のことが書かれていたので 驚いた。 ソーテル氏はファーブルの娘クレールの夫だった人である。ファーブルが結婚に 強く反対…
前回書いたような碌でもない夫と家出、駆け落ちしてしまったクレールだが ファーブル先生は娘に強い愛情を持っていた。 だからこそ結婚に強く反対もしたのだと考えられる。 父から見ればもっと甲斐性のある男、立派な人物と一緒になって欲しかっただろう。 …
しばらく前になるが、ファーブルの原稿や書簡の売り立てがフランスであった。 今なら迷わず目を輝かせ飛びつくところなのだが、当時は入札できるような 状態でなく心身共に不調な時期だった。 懐具合だけでなく、どうも体調の良し悪しはオークションに影響す…
ファーブルの父親の肖像が残っているが、骨太で頑丈そうな顔つきである。 身体も丈夫でアルファベットのIの文字のように背筋がしゃんとしていたそうだ。 1800年にマラヴァルで生まれ1893年1月にセリニャンで逝去している。 およそ92歳の人生だったのでファ…
最初の結婚で伴侶となった教員のマリ=セザリーヌは、64歳の1885年にセリニャン で亡くなった。仕立て屋の娘として生まれ、23歳の1844年にファーブルと結婚して から40年以上にわたり苦楽を共にしてきたパートナーだった。 死因については不明で、ファーブル…
系譜学とか系図学(genealogy)という学問があるそうで、これは特定の人の 家系図を作るというものだ。 ファーブルの家系図についてもサイトで調べてみると、かなりの部分が公開され ていて古い祖先だと17世紀の人までさかのぼれる。しっかりした家系図が公…
ファーブルの家系図をよく眺めている。 こんなものを見ている人などいったいどれだけいるのかなぁ…と時々思う。 参考にするのは1989年版のフランス発行2冊組の昆虫記第1巻にあるもので、 ファーブル研究で高名なイブ・ドランジュ博士序文の後に掲載されてい…
もうしばらく前になるが、やはり海外のサイト経由で書籍を購入していた時に、 あるフランス人の方と知り合いになった。 そのサイトで何を買ったか忘れてしまったのだが、たぶんファーブルの古い教科書 など購入したのかもしれない。わざわざ日本から何冊も頼…
ファーブル一家が世話になったのがロベルティ農場なので 触れておかなくてはならない。 ヴォクリューズ伝記辞典という大部の書籍がある。 これはヴォクリューズと関連する名士を集め紹介しているが、 最もページを割いているのがトーマ・フレール商会である…
ヴォークリューズ県年鑑を見ていると1861年頃から 弟フレデリック・ファーブルの名前が見られる。 既に小学校の校長は辞していたようで、1865年版には ヴォクリューズ・ドック( 港湾倉庫)の理事に名を連ねている。 ローヌ川は近いが海は無いのでドックは単…
ファーブルがアヴィニョン在住の頃の資料を探したことがある。 とにかくファーブルの名前を見つけると、 何か新しい発見をしたような気分になれるので、 ひたすら資料を探しページをめくっていた。 その中に毎年発行されていたヴォクリューズ県年鑑という書…
写真はセリニャンのファーブル邸である。 年代が不明なのが残念なのだが乾板でなく セルロイドフィルムを使っているので 1889年以降ということになる。 下方に白っぽい犬が寝そべっている。 中型からやや大きめの犬に見える。 尻尾は太く鼻と足は短めで垂れ…