1863年にデュリュイは文部大臣としてナポレオン三世に抜擢された。
1865年には視学官として南仏を来訪しファーブルと遭遇している。
お互いの印象は良かったようで、その後デュリュイの計らいで
ファーブルはナポレオン三世に謁見することとなる。
堅苦しいのが嫌いなファーブルはすぐに南仏に戻っているが、
この時の経過は昆虫記10巻に詳しいのでぜひお読みください。
デュリュイは教育の義務化、無償化、そしてカトリック教会主導の
教育からの脱却を目指し改革に乗り出した。
大規模なアンケートを行って、学校に来ていない子供の多い事や
読み書きの出来ない人の多さをドイツと比較して公表した。
つまりこんな状態なんだから、もっと国が発展していくためには
教育の改革が必要なんですよ、ということをはっきりさせたのだ。
初等教育の義務化、無償化を導入した改革案を提出したり、
中等教育に専門性を持たせ将来の職業に役立つ教育を行わせたり、
成人講座を推進したりとデュリュイは積極的に活動した。
特に女子中等教育を創ることはデュリュイが力を入れた分野だが、
カトリック教会側の反発をいっそう招く原因の一つになったようだ。
ファーブルもデュリュイに協力し講座を担当していたので
この争いに巻き込まれアヴィニョンを追われることとなる。
そして1869年にデュリュイはついに辞任することになってしまう。
デュリュイの教育改革思想は先見的で受け入れられなかった点も
多かったが、後々の教育改革の礎になったのは確かだ。
書簡はデュリュイからコート=ドール県知事宛て。
下にヴィクトール・デュリュイのサイン。
1869年、失脚する半年前でディジョンという都市の
高等師範学校の予算に関するもの。
人名まで挙げて金額も指示しているのだが、
文部大臣が直接書簡で地方の知事に予算の指示をする
というのは一般的だったのだろうか?
当時の大臣の権限が大きかったということかもしれない。
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