昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの見解ー学校教育の無償化について(続)

払っている者たちは自分が無料の者より教師からの厚遇を受けられると

信じるでしょうし、良い席は自分のためにあるのだとそれを要求する

ようになるでしょう、そして試験の時はいつも自分が第1列目に座れる

と思い込むでしょう。

 

無料の者は自分の惨めさを恥ずかしく思い教師たちから軽視され、

自分は憐れみによってその存在を許されている、と想像するでしょう。

払う者たちは良い成績を上げればそれが妥当なものだとしても

自分は教師からひいきされているのだと思い込むでしょう。

 

ああ、払う者と無料の者を制度化することは、何と軽蔑や嫉妬の原因を

作ることになることか!

私たちは人生において傷ついた精神が負けてしまうという機会を

あまりにも多く見せつけられ、人生の厳しさを味わうことになります。

これ以上学校の中に子供時代の虚栄を見い出す様な機会を作ることを

やめましょう。私たちの子供たちを傲慢で嫉妬深い子供にすることを

やめましょう。

 

学校は富の違いを知るべきではありません、裕福な家庭、貧しい家庭

という区別をするべきではないのです。粗末な衣服を着て木靴を

履いていても毛織物の服に身を包み革製の靴を履いていても、

学校の木の椅子に座った時点であなたがたは皆同じなのです。

違いと言えばただひとつ、あなた方の振る舞い方と勉強の仕方の違いです。

 

あなた方はフランスの希望です。いったい誰がどの生徒が素晴らしい

人物に育って行くか言えるでしょうか?作業服を着た生徒?

それとも 上着を着込んだ生徒?

別な例で言えば、主婦が藁の上に雌鶏に抱かせる卵を並べる段階で

どの卵が孵化するかわかっているでしょうか?この卵は特別に

大事だが他の卵はそうでもない、と区別するでしょうか?

また卵を抱く雌鶏にしても何も予知することはできないのです。

したがってどの卵にも同じ面倒をみます。

 

学校とは英知を懐胎するところです。学校も最終的に良い結果を出す

生徒は誰かわかっていません。良い身なりでジャムを口の周りに

つけていたあの子供が成人してどうなるか。別の子供、こちらは

空腹に苦しみぼろ着をまとっていますが成人したらどうなるのか?

誰にも言えません。今日は窮地にいる生徒が将来は金持ちの同級生より

もっと可能性を身につけているかもしれないし、くしゃくしゃの髪を

した生徒の頭の中に、もしかしたら学問のアイデアの源を活気づける

火花が眠っているのかもしれません。