ヴォークリューズ県年鑑を見ていると1861年頃から
弟フレデリック・ファーブルの名前が見られる。
既に小学校の校長は辞していたようで、1865年版には
ヴォクリューズ・ドック( 港湾倉庫)の理事に名を連ねている。
ローヌ川は近いが海は無いのでドックは単に倉庫と言うべきか?
ドックではアカネ、絹、繭を主に扱い、フレデリックの自宅でもあった
クロワ通り10番を絹のドックとして、サン・ロック通りの旧税関を
アカネ用ドックとして使用し保管していた。
担保証券を発行し誰でも商品価値の3/4の前貸金をフランス銀行から
得ることができたという。
1900年代になるとフレデリックはクリヨン運河の管理人となっている。
これは灌漑用の水路でデュランス川からル・ポンテのロベルティ農場の
方へ流れている。
ロベルティ農場については後述するがアカネや絹を扱っており
ファーブルの父アントワーヌが働いていた。
ドックにしても運河の管理人にしても、父同様にフレデリックも
農場と関わりがあり世話になっていたのかもしれない。
アヴィニョンの古写真
右下に駅、左下に並ぶ長方形の建造物あたりにアカネのドックがあった。
昔の写真集を見てもドック付近を写したものは見つからなかった。
倉庫など撮る人は居ないので当然かと後で気づいた。