昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブル植物記

まだアヴィニョンを追われる前の1867年にファーブルはファーブル植物記、

原題「薪の話」を出版した。アシェット社やドラグラーヴ社からでなく

ガルニエフレール社からの出版だ。この出版社の書籍はサイズが大きくて

ページ数も多く挿絵がよく使われている。

確かにファーブル植物記はそれまで出版した教科書と違いサイズもページ数も

倍ほどある。おまけに大小たくさんの挿絵が入っていて理解しやすくなっている。

ファーブルは挿絵入りの豪華な書籍も出してみたかったようだ。

このファーブル植物記は優秀な生徒たちへ賞品として配布されたようで、

今でも入手しやすいので部数は多かったのだと思う。

 

出版された年はちょうど文部大臣デュリュイに出会いデュリュイから依頼された方の

無償の講座を始めた頃でもある。その後、講義内容にクレームがついてアヴィニョン

を追われるが、問題になった植物学の講義の詳細は不明だ。

ファーブル自身が昆虫記第2巻8章で書いていることは、教卓が植物でいっぱいに

なり博物学的内容の他に、種子がどのようにして芽を吹き、花はどのようにして

咲くのか…とある。

 

講義開始と植物記が出版されたのが同じ時期なら、植物記を読めば講義で問題に

なったとされる植物の受精などについて何かわかるかと思い、邦訳の平凡社

「ファーブル植物記」を調べてみた。ヒドラから始まりファーブルらしい読者を

飽きさせないストーリーなのだが、原題が「薪の話」というだけあって花や実に

ついてはあまり出てこない。花は次の物語のテーマにしよう、と最後に書かれている。

ファーブルが配慮して故意に記載を避けたというよりは、すでに相当なボリューム

になっていて書ききれなかったということではないかと思う。

 

それではということで1876年出版の「La plante」の邦訳である「植物のはなし」

ファーブル博物記第5巻 岩波書店を参照してみると32章の中の最後の7章分で

花、種子などについて書かれていた。ファーブル先生らしく非常に詳しくて

わかりやすい文章なのだが、アヴィニョンでの講義内容とこの本の内容が

重なっているとすると、今ならいったい何がいけないのか?ということになる。

これが駄目なら若い子女が聴講している場合は生物の話は出来ないということになる。

 

それまで行なわれていた教育内容にはファーブルは強い不満を持っており、

そのような背景もあって文部大臣デュリュイからの依頼も快く引き受けた。

自分ならもっとたくさんのことを興味を持って生徒たちに教えられる、

どの生徒にも平等に教えてあげたいという気持ちがあったと思う。

実際に生徒たちには非常に人気があったのだが、違った角度から見るとこの

ファーブル先生の活躍は気に入らない人も多々いただろうな、と推測される。

出る杭は打たれるのはどこの国でも同じなのだろう。

アカネの研究、文部大臣とのつながり、豪華な本の出版と配布そして無償講座

での大人気…カトリック教会からのクレームだけでなく同僚たちから妬まれても

不思議はない。

ルグロ博士「ファーブル伝」講談社文庫によると、ファーブル先生は教会の説教で

危険人物として名指しされ、若い娘に科学を教えるのは異端と言って憤慨する人も

いたとのこと。同僚も味方にはなってくれず、デュリュイも失脚する事態に至っては

ファーブル先生にとって非常に苦しく辛い状況であった。

 

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画像は1873年「植物学読本」のオジギソウ部分原稿。

オジギソウは「ファーブル植物記」第24章で触れられている。

 

ファーブル植物記〈上〉 (平凡社ライブラリー)

ファーブル植物記〈上〉 (平凡社ライブラリー)

 

 

完訳 ファーブル昆虫記 第2巻 上

完訳 ファーブル昆虫記 第2巻 上

 

 

植物のはなし (ファーブル博物記 5)

植物のはなし (ファーブル博物記 5)

 

  

ファーブル伝 (1979年) (講談社文庫)

ファーブル伝 (1979年) (講談社文庫)