昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

閑話(13)ー最後の原稿 "ツチボタル"

ファーブルが晩年に書きかけていた原稿があったことは、昆虫記第十巻22章終わりに

ルグロ博士が述べている。第十巻23章ツチボタル、24章キャベツのアオムシはまさに

ファーブルが昆虫記第十一巻の最初の2章として予定されていたものだった。

他にもオウシュウケラ、オオムカデ、クロサソリの研究を始めていたが、未完成の

断片的ノートしか残されておらず活字にはできなかったとのことである。

小生のようなファーブルマニアにとってはその断片ノートも見てみたかった気がする

のだが、このように晩年は体が衰え精神も鬱傾向にあったにもかかわらず、その研究

の意欲を失っていなかったということは、さすがに長く多くの人に尊敬されてきた

ファーブルらしい生き様である。

 

小生はそのツチボタルの原稿を入手することができたので、一部を掲載しておく。

画像は小さくて見にくいので拡大して頂ければと思う。原稿の筆跡がファーブル自身

のものと異なるので、当初はまた偽物を掴まされたかと思ったが、最終ページにある

ファーブルのサインは真筆であった。1909年の原稿でファーブルは86歳になっており

視力など衰えていたのだろう。本文は誰かに書写させて、サインだけ自分がしたもの

だと思われる。では誰が書写したのだろうか?晩年、介護や身の回りの世話で付き添

っていたアドリエンヌ修道女だろうか?彼女はファーブルの二番目の奥さんが体調

不良になった際にファーブル家に来たとされているから1909年では早すぎる。

娘のアグラエの筆跡は ”ファーブル巡礼 津田正夫著 新潮選書 2007年 第5章” にその

手紙が掲載されているが、この原稿の筆跡とは異なる。またファーブルの息子ポール

については、拙ブログ "2019-8月 ポールの写真" でその書簡を掲載したが、こちらも

筆跡は異なるようだ。他にも候補はいるが筆跡が不明で比べることができない。

ファーブル家にはファーブルの弟フレデリックの子もよく出入りしていたようなので

まあ、かなり近しい身内にファーブルが書かせたことは間違いないかと思われる。

 

昆虫記第十一巻に予定されていた、ツチボタルとキャベツのアオムシの二篇について

いずれの原稿も "revue des questions scientifiques" という雑誌に先に掲載されている。

原文を見たがこれらはその後刊行される決定版昆虫記十巻掲載の二篇と全く同じ内容

の論文である。まず雑誌で発表し、その後、昆虫記に載せるというパターンだが、

体力の低下からか投稿文は変更修正されることなく、そのまま決定版昆虫記の二篇と

して採用されている。

ルグロ博士の編集なのか、昆虫記だとキャベツのアオムシが最後の章となっているの

だが、雑誌に投稿されたのはツチボタルの方が後で1909年10月の掲載である。

キャベツのアオムシは1908年10月に雑誌掲載されているので、活字になった原稿の中

でファーブルが最後に書いたものはツチボタルだったのだろうと思われる。

ファーブル自身が書いたツチボタルの原稿もあったはずだが、出版社に出せるような

書体ではもうなかったのかもしれない。小生が入手したのは1909年雑誌に掲載された

方の原稿だが、やはり他人が書写した原稿より、よれよれの字体であっても、彼自身

が書いた原稿の方を見てみたかったと思う。ファーブルはツチボタルの原稿を最後に

するつもりはなかったわけだから、身体の衰えで研究の断念をせざるを得なくなった

時は、耐え難いことだったと思われる。

 

ホタルについて検索していると、神田左京(1874~1939)という生物学者の名が

出てくる。昭和10年に ”ホタル" 日本発光生物研究会発行 という大部の書を刊行され

ているが、その中の4‐5章にファーブルの名が登場する。幼虫の麻酔術という題で、

ホタルの幼虫がカタツムリを麻酔し消化吸収することに触れられていて興味深い。

(この書ではランピリスをツチボタルでなく、カラフトボタルと訳されている)。

左原稿はツチボタル冒頭部分

右は最後のページ部分、下にファーブルのサインがある。

サインのみファーブルの筆跡。