昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

2019-01-01から1年間の記事一覧

ファーブルと食物連鎖のこと

ファーブルは意外だが肉食をあまり好まず、果物や野菜、少量のブドウ酒や ラム酒を嗜好したという。これは決して菜食主義というわけではなくて、 身体のことを考えて偏らないようにしていたということのようだ。 息子のポールは血がしたたるような肉が好きだ…

ファーブルの墓の謎ーセネカの墓碑銘

ファーブルの墓石側面にローマ帝国の哲学者セネカの言葉が刻まれている。 OVOS PERIISSE PVTAMVS PRAEMISSI SVNT (quos periisse putamus praemissi sunt) 我々が死んだと思っている人たちは、我々より先に遣わされているのだ。 (完訳ファーブル昆虫記10…

ファーブルの神

ファーブルの宗教観についてはずいぶん前から考えている。 キリスト教徒ではないのでないか?ということは以前から言われているが、 はっきりと断言しているものを見たことがないので興味を持つようになった。 宗教観は極めて個人的なものなので周囲がとやか…

ガヴァルダ夫人

ガヴァルダ夫人のことを知ったのは、津田正夫先生の名著「ファーブル巡礼」 を読んでからと記憶している。第一章に非常に詳しく記載されているので、 興味のある方は読んで頂きたい。 サン=レオン村の小学校の教員でファーブルを尊敬していたが、ファーブル…

ファーブルの墓の謎ーDraped Urn

ファーブルの墓石で最も目立つのは十字架の代わりに上部に設置されている オブジェである(fabre tombe で画像検索してみて下さい)。 最初に見て思ったのは女性の頭部に似ていると感じた。 南仏はマリア信仰が残っている地域である。まだ何も考えてなかった…

ファーブルの墓の謎

ファーブルの墓石を最初に見た時の印象はやけに新しいなぁ…と思ったのを 憶えている。ファーブルが亡くなる時に建立したのだからそれほど古くはない のだが、それにしても壁面が白くてきれいである。管理が良かったのか、質の良い 石でも使用しているのだろ…

ファーブルの手

去年の秋にフランスのオークションに参加した。 ファーブルに関連する人物の書簡を幸い落札できたのだが、未だに届かない。 下手をすると半年くらい経過してしまいそうだ。 慣れてはいるが、どうやったらこんなに時間がかかるのだろうといつも思う。 ブログ…

「年報」仲間の訪問

1911年に雑誌「年報 Les Annales」の関係者らが大挙してアルマスにやってきた。 ファーブルの記事もよく雑誌に掲載されていたので、つながりがあったようだ。 ドゥランジュ博士の「ファーブル伝」によると、詩人で作家のジャン・リシュパン、 ジュール・クラ…

気谷さんのこと

美術史家、愛書家の気谷誠さんのお名前は、ファーブルの資料のことでお世話に なった際に聞かされ知っていた。 それ以上の事は特になかったのだが、少しして神田の古書店に居た時にぶらりと やってこられた。もう十数年前のことである。店主さんに紹介され挨…

地理学の教科書

ファーブルは1876年の6月に地理の教科書を出版している。 この初版は全ての公立学校での使用を副題に掲げているが、再販はされていない。 同年9月に同じ地理の本が出ているが、全ての公立学校という副題は消えて、代わりに 私立学校や中学校での使用と書かれ…

ファーブルの嘆き

以前書いたブログ(閑話1)にあるように、ファーブル先生は犬を飼っていた。 勇敢なブル(ビュル)という犬で詩の題材にもしている。 ブル以外にも犬はいたようだが、拙宅にもミニチュアダックスのオスがいる。 今年で14歳になる高齢犬だ。年の割に元気だっ…

コガネムシ詩人からルマニーユへの手紙

南仏の文芸復興運動のために組織されたのがフェリブリージュという団体である。 1854年、創設時のメンバーにはルマニーユ、フレデリック・ミストラル、オーバネル などの面々が名を連ねている。徐々に拡がり支部もかなりあったようだ。 彼らの発行している機…

ファーブル先生のあだ名

聞こえが良くないせいかあまり取り上げられないが、ファーブル先生の教員時代の あだ名は「ハエ 」である。仏語で mouche と書く。 発音はかなり訛れば ムッシューとかムシ(虫)と聴こえなくもない。 Monsieur(mouche) Fabre とでも陰口を叩かれていたのだ…

閑話(5)ー蔵書の処分

いよいよ散乱した部屋の収拾がつかなくなってきた。 理由は簡単、重い腰を上げてブログを書くようになってから片付けが間に合わなく なったということだ。足の踏み場を選んでるようでは精神衛生上も良くないと、 一念発起してファーブル関連の書籍以外は少し…

ファーブルの写真

ファーブルの写真が売りに出されることは稀なのだが、しばらく前に入手したもの が出てきた。以前から写真は探しているが、なかなか出ないうえに見たこともない カットというのはほとんど見つからない。 特に若い時の写真がないのが非常に残念である。もちろ…

フンコロガシの水彩画

スカラベ・サクレ、和名がヒジリタマオシコガネ。 ただ、実際にファーブルが観察していたのは、ティフォンタマオシコガネだった とのことだ。この経緯については「完訳ファーブル昆虫記第1巻上」集英社版に 詳しい。大杉栄もスカラベ・サクレと訳しているが…

ファーブルの図版とデュフールの図版

日本人は手先が器用だという話はよく耳にすることだ。細かな作業を厭わずいい 仕事のものを作るからで、小生もそのように長く頭に刷り込まれてきた。 そして実際も正しいのであろうが…だからと言って「細かい仕事=外国人には無理」 などということにはもち…

ファーブル巡礼

アルマスを訪ねた日本人と言えば、表題の名著「ファーブル巡礼」をお書きになった 津田正夫先生に絶対に触れなくてはならない。昭和51年出版で古書でも入手可能だが 新潮社から奥本先生監修で再刊されている。 実際に現地に行かれていろんな情報を収集されて…

アルマスを訪ねた日本人

ファーブル好きとしては邦書の方にも興味を持っている。 大杉栄はもちろんだが椎名其二や安成二郎などにも興味があって、 常々探究はしているのだが資料の収集は容易でない。 先日、たまたま「科学者は斯く生きる」大橋祐之助著 恒星社版 昭和8年という 本を…

ファーブルコレクター

昨年末位からオークションがきっかけで、フランス人のファーブルコレクター というか…ファーブルマニアの方と知り合いになった。 メールでやり取りしている内に、この方がファーブル関連のいろんな資料を 持っていることがわかってきた。 先方も小生がなかな…

ラッティ大司教の書簡ー(7)

1914年7月20日 我が妹よ、先日の手紙にはまだ続きがあります。今日はそれをしたためましょう。 あなたを介してファーブル氏と斯様(かよう) に話すことができるなら、それはこの 敬うべき老人が精神の明晰さをすべて保っているということです。 そしてお気に…

ラッティ大司教の書簡ー(6)

1914年7月15日 我が妹よ、ファーブル氏の健康状態を知らせていただき、神の息吹を吹き込まれた 思いです。ひどい暑さにも彼がさほど苦しんでいないとのこと、大変喜ばしく拝読 いたしました。神のご寵愛を受けている彼ですから、寄る年波でさえ彼のたくまし…

ジャンヌ・ダルク像とファーブル

雑誌「クリスマス」1919年のB.ドルサン女史の記事によると、ファーブルは 1914年の春にジャンヌ・ダルク像の建立を願うサン=レオンの司祭宛に書簡を 送っている。もうファーブル自身の力で文章を書くことは出来なかったはず なので、娘のアグラエが代筆した…