昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

閑話(5)ー蔵書の処分

いよいよ散乱した部屋の収拾がつかなくなってきた。

理由は簡単、重い腰を上げてブログを書くようになってから片付けが間に合わなく

なったということだ。足の踏み場を選んでるようでは精神衛生上も良くないと、

一念発起してファーブル関連の書籍以外は少しづつ整理することにした。

読みたいと思って買っておいた文芸書などもったいないが、それよりも気持ちの

良い部屋に居たい。

 

何か書くために資料を出し始めると悪循環のきっかけになるのかもしれないが、

書籍が徐々に積ん読状態になってくる。

さらに、読みたい本が辺りに見つからないと、探し出すより余程早いと思って、

また新しく同じ本を買うというドツボにハマりだす。

 

昔、借家に住んでいた頃、押入れや階段までがほぼ本で埋まると、本の重さで1階の

戸が開かなくなってきた。

床が抜けるのではないか?とか、2階から本が落ちてきたらあの世行きだなぁ…

という恐怖感に襲われるようになりオチオチ寝ていられなくなった。

 

そんな笑えない状態を何年も耐えて、やっと念願の転居が決まった時は1階に部屋を

確保して小さな図書室を作った。床を補強しレールを敷いてスライド式の書棚を

付けた時は本当に嬉しかったが、今となっては図書室も積ん読状態が続いている。

だが、本そのものが好きなので仕方ない。書籍と格闘してこその人生だと開き直って

今も買い続けている。

 

田舎育ちで地元に大きな書店がなかったが、小学生くらいから本屋には長時間居た。

1時間を優に超えると、店主は「こいつはやばいんじゃないか?」という顔でこちら

をチラチラと見てきたのを覚えている。

それだけ本が好きなら相当な読書家かと思われるがそうでもない。

知識や情報が詰まっている書籍への知的欲求というか、リスペクトというか…

とにかく手に取ったり眺めたり傍に置いたりするのが無上の喜びだった気がする。

ファーブル先生が食費を削ってまで、欲しい昆虫学の本や詩集を購入したのは

何となく理解できる。小さい時から小遣いはみな本につぎ込んでいたので、小生も

既にコレクターの資質はあったのかもしれない。

 

さて、大きめの段ボールで古書店に蔵書を引き取ってもらったのだが、引取り価格

として口座に振り込まれたのはたった300円だった。

期待はしていなかったが文庫1冊にもならないのは悲しいかぎりだ。

せめてもう一桁上の金額を想定していたのだが…

腰を痛めながら何箱も詰めて、この値段なら資源ごみに出した方がリーゾナブルだ。

 

そこそこ良い本も入れたが全て徒労に終わった。

古書店も出版業界も厳しい状況というのは久しく言われているが、本当はどうなの

だろう?自分で言ってるだけの体の良い言い訳なんじゃないのか?など悪口雑言が

バンバン出てくる。

 

まぁしかしよく考えると、送料無料で段ボールも無料だし、本の価格的にはそれらで

消えるくらいの金額なのだろうと思い直した。

そして何より資源ごみにすることとの決定的な違いがある。

彼ら古書業者は、それらの本をまた新たに欲しい人・読みたい人へ安価に提供して

くれているのだ。自分も今までその恩恵にあずかってきたのではないか?

結局そんな結論に自分を納得させた。やはり前向きな考え方の方がハッピーになれる

気がする。

 

本と虫は家の邪魔 奥本大三郎対談集

本と虫は家の邪魔 奥本大三郎対談集

 

 

それでも古書を買いました

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