昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの墓の謎ーセネカの墓碑銘

ファーブルの墓石側面にローマ帝国の哲学者セネカの言葉が刻まれている。

OVOS PERIISSE PVTAMVS PRAEMISSI SVNT 

(quos periisse putamus praemissi sunt)

我々が死んだと思っている人たちは、我々より先に遣わされているのだ。

                 (完訳ファーブル昆虫記10巻下参照)

これは実際のセネカの文章とは綴りが違っている。

複数形に直したためか quos 以外にも periisse や sunt も異なっている。

OはQの誤植らしい。というかQを彫ったら石が崩れそうで彫れなかったのでは

なかろうか。Vに見えるUも単に彫りにくかったのだろう。

 

ファーブルがセネカのどこの文章から引用したのか調べてみた。

全く同じ文は無かったが、以下の二か所に似た文章が見つかった。

( Loeb classical library 参照 )

一つ目はセネカ倫理書簡集Ⅰの第63通最後の部分。

quem putamus perisse, praemissus est.

私たちが死んだと考えている人は先にそこへ送られたのだよ。

死去したと思われている友人たちは、わたしたちに先んじてその場所に行った

だけである…。

 二つ目は同書簡集Ⅱの第99通部分。

quem putae perisse, praemissus est.

死んでしまったと君が思う人は、先に送り出されたのだ。

きみの亡くした故人は、すぐ前の行列に入っているにすぎないのだ。

              (訳1行目、セネカ哲学全集5、6巻 岩波書店参照)

              (訳2行目、ルキリウスへの手紙 近代文芸社参照)

 

いずれもルキリウスへ宛てたという書簡形式をとっている。

上記の文は知人や幼い子供が亡くなった際にしたためたものだ。

読んでいると非常に励まされる。

前後の文も読まないとわかりにくいと思うが、

優しく同情するというのでなく、叱咤激励に近い文が続く。

ただその根底には相手への深い愛情が存在している気がする。

 

ファーブル先生のおかげで小生も古典に目を通すようになった。

とにかく二千年も前の人なのに感服するばかりである。

人間と言うのは(科学技術は別にして)基本的に進歩していないんだなぁ

と感じる。どうも二千年程度では進化しないらしい。むしろ退行している

気さえしてくる。

 

ところで、ファーブルはなぜこの文を墓石に刻んだのだろうか?

ストア派に共鳴していたからというだけでもないように感じる。

墓石に書き込んだというのは何か特別な意味があったはずである。

引用文はいずれも死に関わる手紙で、墓碑に相応しいのかもしれないが、

やはりファーブルが思い入れのある言葉なのだろう。

 

ファーブルはたくさんの家族を亡くしている。

特に後継者として期待の大きかった息子ジュール(1877年16歳で逝去)を失った

際の悲しみは想像できないほど深いものだったはずだ。

実際に後年、娘クレールへの手紙の中で、「12年の歳月が流れたというのに、

いまだに心がうずく」と書いている(ファーブル伝、平凡社参照)。

 

もしかするとその時のファーブルの支えになったのが、セネカの文章だったの

かもしれない。

ファーブル先生は家庭では絶対的な家長である。他者に声をかけてあげることは

出来ても、自分を慰めてくれる人は限られている。

クリスチャンでなかったファーブルが、セネカの言葉を拠りどころにしたと

しても何も不思議はないと小生は思う。

 

セネカのおかれた境遇、理不尽な皇帝カリギュラや教え子だったネロに振り

回され最後は自死に追いやられた。そんな境遇でも執筆を続けたセネカ

ファーブルは好んだのかもしれないが、セネカは途中罪を着せられコルシカ島

へ流されている。もしかすると、同じコルシカに教師として赴任したことは、

セネカに興味を持つ一つのきっかけになったのかもしれない。

 

セネカの書簡を読むと、よく死についての話が書かれている。

それだけ死が身近な時代であったということである。

セネカにとって死は誰にでも来るもの。早逝だと思っても大きな時間の流れ

からみれば大した差はない。みんなそこへ行くのである。悲しむ必要は無い、

泰然自若として全て受け入れるべきものである。

賢者の条件として、何が起ころうとも揺るぎない心を持っていることが最も

重要であり、自分にふりかかる不幸など周囲の変化で心が左右されるのは

恥ずべきことで死は怖れるべきものではない、となる。

非常にストア派的な考え方である。

 

一方で、セネカの文章を読んでいると来世を連想させるようなことも言っている。

「先に送られた」などは来世を連想させる。

ストア派は本来は魂の不滅という考え方はしないはずであるが、よくソクラテス

プラトンなどについても言及しているので、影響を受けているのかもしれない。

しかし、死ねばあの世に行くという考え方はいろんな宗教でもみられることだ。

死は無である、何も残らない、身体も魂も、と言われてしまうと残された者に

とっては非常に救われにくい。やはりいつかどこかで、自分も旅立った時にまた

愛しい人に逢えるのだと思うからこそ、深く傷ついた心も癒される。

 

死についてセネカは何度も言及しているが、数あるセネカの言葉の中から、

何よりファーブル先生が選択したのは来世を思わせる文である。

きっとその文章の書かれたセネカの手紙を読むことで共感し救われたのだろう。

哲学者カント流に言えば、来世があるかどうかは誰もわからない。

しかし我々自身がその存在をなくてはならないものとして必要としている

(要請している)のだ、となるのかもしれない。

 

また、墓碑銘の原文とは全く違うが、書簡36通目では、

死は人生を中断させるのであって、奪い去るのではない。

いつかまた私たちを光のもとへ戻す日が来るだろう。

…すべて滅びるように見えるものは変化しているだけだということを。

                     (セネカ哲学全集5参照)

と輪廻転生を思わせることも述べている。

 

実際、来世についてファーブルはどう思っていたのだろうか。

昆虫記第二巻のジュールへの献辞という文章がある。

出だしは聞いたことがあるフレーズだが、全文を読んだ方は多くないのでは

ないだろうか。

完訳ファーブル昆虫記、奥本先生の訳を以下に一部引用する。

 

いとしい子よ、あんなにも昆虫が好きであった私の協力者よ、

…ああ、死とはなんと忌まわしいものであろうか、輝かしい真っ盛りの花を

刈りとってしまうとは。

(中略)

…「彼岸」での目覚めをかたく信じている私には、こうしていると、おまえとの

共同研究を続けているように思われるのだ。

 

素晴らしい文章なのでぜひ全文お読みください。

叢文閣版 昆虫記 椎名其ニ訳およびアルス版 小林龍雄訳では、「彼岸」部分は

「あの世」となっている。

 

この献辞を読むとファーブルは霊魂の不滅や来世を信じていたようにとれる。

「彼岸」での目覚めとは、霊魂は永遠でまた別の世界に行って生き続けるという

ことを意味しているように思える。

ジュールの死は永遠の別れではないのだ、自分もいずれ行く世界へほんの少し

だけ先に行っただけなのだと。

そう思うことでファーブルは立ち直っていったのではないだろうか。

そして身体の衰えが徐々に進み、ファーブル自身が旅立ちを意識するようになって

から、今まで救われてきたセネカの文を墓石に刻んだというのは必然のことだった

のだと思う。

 

セネカ哲学全集〈5〉倫理書簡集 I

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セネカ哲学全集〈6〉倫理書簡集II

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生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

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完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下

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完訳 ファーブル昆虫記 第2巻 上

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