昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの嘆き

以前書いたブログ(閑話1)にあるように、ファーブル先生は犬を飼っていた。

勇敢なブル(ビュル)という犬で詩の題材にもしている。

ブル以外にも犬はいたようだが、拙宅にもミニチュアダックスのオスがいる。

今年で14歳になる高齢犬だ。年の割に元気だったのだが、ここ半年ほどで急速に老い

が進んだ。気がつけば黒く大きな瞳だったのが真っ白に濁って視力が落ちている。

見えないせいか、あちこち鼻先をぶつけながら何とか歩いている。

長い鼻が無ければとっくに眼を怪我していたことだろう。

どうも耳も聴こえが悪いようだし嗅覚もめっきり落ちている。

不安なせいか傍に人がいないと寂しそうな声を出している。

眼だけでも、と白内障の手術を考えたが、高額なうえにそんな体力ももう残ってない

ようだ。数日前からは後ろ足に力が入らなくなっていてヨロヨロしている。

今までずいぶん彼には癒してもらってきたので、目の前で衰えていくのを見ている

のはつらいが、老化そのものは誰にもやってくるものなのだから仕方がない。

 

ファーブルも晩年は足腰が弱り、視力が衰え、自由に研究が出来ない状態を非常に

嘆いている。ファーブル先生は身体が元気ならいつまでも研究を続けたいのである。

それが難しくなって諦めざるを得ないとなった時の落胆はさぞかし激しいもの

だったろうと想像される。

晩年のファーブルに寄り添い取材したドルサン女史の文章から以下に引用する。

 

1913年、栄光がアルマスの鉄格子の門を華々しく開いた。作家や批評家、ジャーナ

リストがファーブルと彼の作品を祝うために、最高の賛辞を繰り返す。

その彼はというと、プロヴァンス風の慎ましい自宅でソファにじっと座ったまま、

挨拶や称賛にもどこ吹く風という風情だ。

「想像できはしないでしょう、どれほど私が打ちのめされているかなんて」と彼は

フレデリックミストラルに書く。

「もう何もしたくない。ただ静けさが欲しいだけだ…」

しかしながら、彼の瞳は知性と生命で輝き、その薄い唇はからかいの微笑みを

かすかに浮かべている。

「先生」とアルマスの親しい者が言う。

「セリニャンにあなたの像を建てるという問題なのですよ」

「ああ、そうか! 自分を見ることになるわけか。だが自分がわかるだろうかね?

自分を見つめる時間などほとんど無かったからね!」

「どのような碑文がよろしいですか?」

「 ”ラボレームス”、それだけでいい」

実際、高名な昆虫学者がいつも行っている骨折り仕事は一言で言えばそうなるのだ。

それに、彼の頭はまだまだ素晴らしく明晰だ。

 

1913年9月15日、銅像計画について彼は友人の一人に自分の感想を打ち明けている。

「セリニャン市長が私の胸像を建てるつもりらしい。今、うちには彫刻家のシャル

パンティエがいるが、彼はアヴィニョン師範学校に置くモニュメントとして私の像

を作っているんだ。本当ならサンティベリをたくさん作ればいいのだがね。

まぁ、やりたいようにやればいいさ。私はどんどん老けていってもう終わりだよ…」

 偉大な老人は最高の栄誉を知らなかったはずだ。その機会を奪ってしまったのは

彼が嫌うドイツ人である。1914年の総動員の張り紙が、アヴィニョンのファーブルの

銅像の除幕式典を知らせる張り紙を覆い尽くしたのだ。

 注)

フレデリックミストラル:ファーブルの友人、フェリブリージュ創設メンバーで

  ノーベル賞作家、詩人。代表作ミレイユに出てくるマガリという歌をファーブル

  は好んだ(ただし作曲家グノーによるものは嫌った)1914年逝去。

ラボレームス:ファーブルが好んで使った。完訳昆虫記 第10巻 22章 集英社版に

  詳しい。「 Laboremus さぁ働こう!」

サンティベリ:イタリアで売られている小さな石膏像(santi-belli 美しい聖人の意)

 

1914年7月~1918年11月:第一次世界大戦でファーブルの息子、娘婿、知人など多く

出征し負傷した。このためファーブルは戦争を非常に憎んでいた。

戦争に関するファーブルの未刊原稿があり、こちらは別の機会にまた掲載する予定

だが、やはりドルサン女史の文章から当時の様子を以下に引用する。

 

1914年夏、宣戦が布告され、総動員体制はすべてを大混乱に陥れた。

行政、家庭生活、計画…。こうして私のセリニャンでの滞在は延び、ファーブルと

より親密な関係になっていった。様々な出来事が、いにしえの教師の平和主義の夢に

吹き寄せた:国境の消滅、純粋なユートピア!全世界の友愛、20年を超えることは

ないであろう幻想!

公式発表が彼の望みに応えるものでないとわかった時、昆虫学者はいらだって、

テーブルを拳で叩きまくっていた。それは以前からペン先のかき傷で穴だらけだった

かの有名な小さなテーブルである。

息子や軍隊にいた娘婿たちの運命について、彼は心配でたまらない。

アルマスの穏やかな生活は、もう記憶の中の出来事となってしまった。

世界的な嵐は、突風だらけの中を勇敢に突き進もうとする抵抗の力を打ち砕いて

しまうこととなる。

注)晩年の書簡によると、親族・親しい知人については負傷のみで済んだようだ。

 

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福井謙一博士(1918~1998)色紙。

フロンティア軌道理論でノーベル化学賞受賞。

昆虫記を愛読され「ラボレームス」は好んだ言葉だった。

 

学問の創造

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プロヴァンスの少女―ミレイユ (岩波文庫 赤 570-1)

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完訳ファーブル昆虫記 第10巻 下

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