昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

コガネムシ詩人からルマニーユへの手紙

南仏の文芸復興運動のために組織されたのがフェリブリージュという団体である。

1854年、創設時のメンバーにはルマニーユ、フレデリックミストラル、オーバネル

などの面々が名を連ねている。徐々に拡がり支部もかなりあったようだ。

 

彼らの発行している機関誌が「プロヴァンス年鑑アルマナ」で、南仏に伝わる言葉で

あるプロヴァンス語で書かれている。これがまた結構フランス語と違っているので、

こちらとしては非常にやっかいである。しゃべる人は10万人ほど居るはずなのだが、

フランスの知人に聞いても自在に使えるという人には今のところ出会わない。

「そういえば祖父がしゃべっていた」と言われたくらいである。

 

ファーブルも1890年頃から参加し、本名ではなくコガネムシ詩人(Felibre di Tavan)

という名で詩を投稿していた。主要メンバーのルマニーユはアヴィニョンで人気を

博したファーブルの無償講座に参加していたので、その頃には既に知り合っていたの

かもしれない。ファーブルのフェリブリージュでの肩書は指導委員である。

 

南仏中心に活動するフェリブリージュは、徐々に南仏の分離独立などの政治的な主張

が明らかになっていったのではないか?と思ったが、ミストラルらの意向が反映され

そのような方向には行かなかったようだ。理由としては、例えば創設メンバーでさえ

政治的また宗教的な違いが明らかであり、あくまでもプロヴァンス語復興という点で

団結し活動してたからである。そして分離や独立を目指す団体として見られることを

非常に嫌ったようだ。

 

では政治的主張がはっきりしていたら、ファーブルは参加していただろうか?

ナポレオン三世時代の文部大臣デュリュイには世話になったが、本質的には共和派に

共鳴していたようなので、王党派主体なら参加していなかったかもしれない。

そうなれば、ファーブルは詩を発表する場を得ることはできなかったはずである。

 

言語の表記法については内部でずいぶん揉めた。ミストラルは語源尊重を唱え、

ルマニーユは発音式表記法が必要と主張した。

ミストラルは「発音されないという理由で、複数のsを削除するという過ちを犯し

ている」と述べ、ルマニーユは「文法上の偽善者」と罵ったという。

最終的には後輩のミストラルが折れ自作を何度も書き直すはめになったが、経過は

単純ではなくいろいろな要因が背景にあったらしい。

ミストラル「青春と思い出」とその研究 杉冨士雄著 福武書店にとても詳しい

ので興味のある方は参照して下さい)

 

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ファーブルのルマニーユへの書簡

 

親愛なる先生

このほど、私の昆虫記の4巻目を出版社に送りました。

私は休暇を幾日か取り、この期間を利用して私が貴方に約束したことを考えて

います。オルガンをたたいている際にふと頭に浮かんだ考えを二つお送りします。

そのうちのひとつのメロディーは私の勇敢な犬・ブル先生に捧げるものですが、

それを添えます。

もうひとつの曲は、おそらくアルマナに相応しくない旋律でできています。

私は書くことにおいてはプロヴァンスの様式にあまり精通していません。

音階も奇怪に聴こえます。そのため私がお送りしたものは、おそらくかなりの確率で

価値の無いものでしょう。どうか厳しく評価してください。

そして、この醜い韻の踏み方と聴くに堪えない音階は、私の高い意欲の証明として

のみ貴方に届けていますので、どうか火に投げ捨てて頂いて結構です。

貴方のお心遣いで火刑を免除して頂けるのなら、どうか、いつか私の細事に

…………して頂けるだけでも光栄です。もしこの取るに足りない小曲が厄介な

活字に過ぎないならば、消去して下さい。

 

親愛なる先生へ、

敬具

J.H.ファーブル

セリニャン(ヴォークリューズ県)

1890年7月10日

 この細事と言っていいようなものを出版されるなら、私がそれらに署名した

ペンネームを添えてください。

 

 注)書簡後半の点線部は実際は以下のプロヴァンス語で書かれている。

  d'alisca un pau la coudeno :プロヴァンス語辞書で調べてみると、

  革を磨くという意味から、文章の不完全さを修正するという内容のようだ。

 

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機関誌アルマナ、1892年 ルマニーユ追悼号

ファーブルはコガネムシ詩人 (Lou Felibre di Tavan) の名で詩を投稿している。

題は「LA SOUPO DE JAISSO レンリ草のスープ」

連理草はマメ科多年草

 

 

南仏抒情詩人テオドール・オーバネル (1960年)

南仏抒情詩人テオドール・オーバネル (1960年)