昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの墓の謎

ファーブルの墓石を最初に見た時の印象はやけに新しいなぁ…と思ったのを

憶えている。ファーブルが亡くなる時に建立したのだからそれほど古くはない

のだが、それにしても壁面が白くてきれいである。管理が良かったのか、質の良い

石でも使用しているのだろうか。ファーブルの像を作った彫刻家の友人もいたので

デザインや石の選択など助言はしたのかもしれない。

 

小生のような少しおかしいファーブルマニアになると、いろんな所が気になって

くる。そして、墓石などを眺めているといろんな疑問も湧いてくるのである。

側面のセネカの格言ももちろん気になるが、正面を見ると「ファーブル家」と

石に彫られている。

はて?ファーブル家と彫ったからには他の家族も埋葬されているのだろうか。

それとも今後の事を考えてファーブル家と入れたのか?

たくさんの家族が亡くなっているのだが、皆この墓に眠っているのだろうか?

小生はファーブルだけが埋葬されているものと当然のことのように信じていた。

 

息子のエミールは独立していたから別のお墓だろう、ではあの最愛のジュールは

どうなのか?いったいどこに埋葬されたのか?

ファーブルより先に旅立った夫人たちは...?

全く何もわからないのである。

 

そもそも土葬なのか火葬なのだろうか? 

基本的にフランスはカトリック教徒が多いので、土葬が一般的だが火葬も増えて

いると聞く。場所の問題などもあるのだろう。日本に留学している大学生に聞いて

みたが、現在は半々くらいではないかと言っていた。

ファーブルは土葬のようだがそれも想像である。自宅で逝去後、いったん教会に

寄ってから立派な行列で墓地まで運ばれているのは確かなので、おそらく土葬

なのだろう。

 

ファーブル家について勝手に推測すれば、それまで逝去した人達はその土地ごと

に埋葬されてきたと思われる。墓の所在は不明だが、カルパントラで亡くなった

子供たち、オランジュでは最愛のジュールが眠っているはずだ。

エミールも亡くなったオランジュだろう。ファーブルがアヴィニョンを追われた

後は教会墓地でなく公営の墓地に埋葬されているのかもしれない。

オランジュなど別の土地で埋葬された家族を全てセリニャンの墓へ移動させる

のは厳しい。もちろん町を離れる毎に遺骨を移動させてきた可能性もあるが、

当時のファーブルにそこまでの余裕があったとは到底思えない。

 

セリニャンの村をグーグルで上空から眺めると、あまり墓地らしきところが他に

見当たらない(墓地は墓石が並んでいるので上空から判別できる)。

現在ある墓石が新しいので思いつきにくいが、セリニャンに来て夫人が逝去された

際にこの墓地の同じ場所にファーブル家のお墓は作られ、二番目の夫人についても

そこに埋葬されたのかもしれない。

そしてファーブルの逝去にあたって、彼の業績に見合った立派なお墓を作り直し、

夫人たちも一緒に埋葬したのではないかと小生は今のところ考えている。

 

もう一つ。

ファーブルのお墓でよく問題にされるのが、十字架がないことである。

墓地内の墓にはほとんど十字架があるのでファーブルの墓石は非常に目立つ。

迫害によるという話はあり、確かにセリニャンにおいてもファーブルに対する

不協和音はあった。アヴィニョンでのことも影響している可能性はあるが、

何より高齢のファーブルが若い後妻を迎えることが、当時としては必ずしも快く

思われなかったようだ。他所から突然村にやって来て、そして隠者のように

塀の中に居て何をしているかさっぱりわからないのである。

たまにファーブルが町に出てくると村人はざわついたという。

アルマスという名は Hermit 隠者の意味だと言える。

 

しかし墓の十字架については小生は迫害と関係ないと考えている。

大司教が二度も来訪しており看護修道女がファーブルを介護していた。

そして、臨終の儀式も一応カトリックの儀式を拒否はしなかったのだから、

十字架を墓に設置するつもりなら拒絶される理由はないはずだ。

ただ今までのブログに書いてきたように、ファーブル先生は神も来世も信じていた

キリスト教徒の信仰とはかなり異なっている。

したがって、ファーブル自身の意志で十字架の設置はそもそも選択肢になかった

のだろうと小生は考えている。

 

いつ葬儀になっても良いように墓石は亡くなる前に出来ており、セネカの格言と

ともにファーブル自身がよく口にしていた言葉は石の側面に刻まれた。

カトリックのルールに従って臨終を迎えたものの、自分の意志は最期まで通した

のだと思う。そして十字架を付けないということがファーブルの強烈なメッセージ

のように思える。

家庭内で絶対的な家長であるファーブル先生の意志は誰もが尊重したはずだ。

 

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雑誌 L'Illustration 1913年 8月 9日号より

晩年のファーブル、写真の修正が少ないように見える。

顔の深い皺は長年の研究生活を物語っているようだ。

 

世界葬祭事典

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