昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

アルマスを訪ねた日本人

ファーブル好きとしては邦書の方にも興味を持っている。

大杉栄はもちろんだが椎名其二や安成二郎などにも興味があって、

常々探究はしているのだが資料の収集は容易でない。

 

先日、たまたま「科学者は斯く生きる」大橋祐之助著 恒星社版 昭和8年という

本を入手した。ファーブル関連本としては見たことが無かったのだが、著者は実際に

自分の足でファーブルの終の棲家アルマスを訪ねていたので驚いた。

津田正夫先生が「ファーブル巡礼」という名著を出版されているが、大橋先生の

本は初見であった。しかも昭和8年というのは西暦で1933年、ファーブル没後から

18年程度の近さで津田先生が訪問された1973年よりも40年以上も古い。

 

大橋先生と言う方は医学博士と書いてあるので医師だったようだ。

探してみると、Elektrokardiogramの臨床という心電図の本も書かれている。

東大の教授宛に献辞が入っているので東大病院で研鑚されたのかと思ったが、

東大農学部から京大医学部へ進まれたということだ。

 奥様も医師をされており大橋リュフ(平成8年没、96歳)という名でいろんな情報が

出てきた。「佐賀医人伝」に詳しいが明治の生まれでアメリカにも留学されている。

有名人も多く受診したという。兄は吉原自覚という僧で、こちらも有名。

夫婦で寄付・寄贈された佐賀県の太良(たら)町に大橋記念図書館がある。

 

大橋祐之助著「科学者は斯く生きる」に戻ると、大橋先生はラマルク、ダーウィン

ファーブル、メンデル、ジェンナーらのゆかりの土地を訪問されている。

ファーブルの章ではサン・マルシャル寺院、セリニャン、墓地などお一人で訪ねた

ようだ。写真も豊富で当時の様子が垣間見えて面白い。

アルマスではファーブルの年輩の娘さんが応対しているが名前は出ていない。

しばらくアルマスを管理していたアグラエではないかと思う。

フランス語が堪能だったわけではないようだが、見知らぬ土地を単身訪問されており

飛行機が苦手で未だに二の足を踏んでいる小生とは大きな違いである。

 

ファーブルのお墓の写真も掲載されているが、花輪がいくつか飾られている。

これは葬儀の際のものとよく似た形なので、もしかすると訪問当時は弔花の枠部分が

まだ残されていたのかもしれない。

 

アルマス訪問時に促されて台帳にあれこれサインをしたらしい。

せっかく来たのだからと、"一人の日本人、遙々の國から、私の大なる歓びにて”

などの文言を記入したそうだ。

それをジッとアグラエが見ており、大橋先生は冷や汗が出たと書いておられる。

わざわざ遠い東洋の国からなぜこんな所まで?と彼女は感じたことだろう。

そこまで知られている父の偉大さを再確認したのではないかと想像する。

 

ファーブル邸入口に立つ彼女が写真に収められており、白髪?は目立つものの

顔立ちは若い時とあまり変わっていない。

晩年のアグラエの写真は見たことがないので貴重な資料だと思う。

ただ、書籍が絶版なのがとても残念で古書でも入手しにくい。

大橋先生の御親族の方がいらっしゃれば、ぜひ復刊して欲しいと願うばかりだ。

 

アグラエは1853年にアヴィニョンで生まれ1931年1月にこの地で逝去されている。

したがって、書籍が発行された昭和8年(1933年)よりもしばらく前、少なくとも

昭和6年以前に大橋先生はアルマスを訪問していたことになる。

アグラエは70歳代で晩年であるが、ファーブルの娘に直接会った日本人は他にいる

のだろうか?

大橋祐之助博士が初めてなのか…訪問台帳が残されていれば調べてみたいが。

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ファーブルの墓石、右下に息子ポールのサイン。

葬儀の際のものと思われ、花輪の一部に弔花した方の名前が入っている。

ファーブルの墓石や彫られた格言については別の機会に触れたい。

 

佐賀医人伝―佐賀の先人たちから未来への贈り物

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ファーブル巡礼 (新潮選書)

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ファーブルの写真集 昆虫

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