1911年に雑誌「年報 Les Annales」の関係者らが大挙してアルマスにやってきた。
ファーブルの記事もよく雑誌に掲載されていたので、つながりがあったようだ。
ドゥランジュ博士の「ファーブル伝」によると、詩人で作家のジャン・リシュパン、
ジュール・クラルティらと大勢のご婦人方、そして「年報」仲間らが、各地を見物後
にアルマスを訪問したとある。たくさんの人達にファーブルも驚いていたようで、
彼が研究した場所などを見て回った。
リシュパンは涙ながらにファーブルに挨拶し、ファーブルも衰弱していたにも
かかわらずアルマス見学後の彼らを門まで送りたがったという。
一人の若者が手伝って肘掛け椅子を進め、休みながらファーブルは移動したそうだ。
彼らとの別れの際に逸話がある。
リシュパンが女性歌手に別れのしるしに「マガリ」を歌ってくださいと頼んだ。
この時、ファーブルは力をふりしぼり激しく抗議した。
彼はフェリブリージュ会員としてグノーのオペラを聴きたくなかったのである。
ファーブル夫人が、ミストラルがつくったプロヴァンス語の本物の「マガリ」ですよ
と伝えると、「それじゃあ聴きたいね」とファーブルは答えた。
そして、歌手のカン夫人が歌うとファーブルも皆も泣いて喝采を送ったそうである。
注)
マガリ:ミストラルの作品「ミレイユ」に出てくるプロヴァンス語による歌。
シャルル・グノー (1818~1893) :フランスの作曲家、オペラ作品の一つにミストラル
原作のミレイユがある。パリ生まれ。
以下の写真は、以前入手した当時の一行のアルバムから代表的なカットを選んだ。
真ん中にファーブル、右は弟のフレデリック。
左に肘掛け椅子、これに座って休みながら移動したようだ。
左脇が椅子を運ぶのを手伝った少年か?
1915年5月にもう一度アルマスを一周したいとファーブルは言い出し、
肘掛け椅子を担架にして担がれて庭を回ったという話が残っているが、
この椅子だったのかもしれない。
ファーブル邸前に集まる「年報」仲間とご婦人の方々。
左がフレデリック・ミストラル(同行していたようだ)、右はジャン・リシュパン。
雑誌「年報」1911年4月号、ファーブルの詩「コオロギ」掲載
メーテルリンクのファーブル作品についての長文記事あり。
作家メーテルリンクは「青い鳥」で有名だが、ファーブルの信奉者
として知られている。