ガヴァルダ夫人のことを知ったのは、津田正夫先生の名著「ファーブル巡礼」
を読んでからと記憶している。第一章に非常に詳しく記載されているので、
興味のある方は読んで頂きたい。
サン=レオン村の小学校の教員でファーブルを尊敬していたが、ファーブルが
この地で生まれたことも知らない人がいることを嘆き、生家を村立の記念館に
するよう働きかけた。第一次世界大戦で一時頓挫しかけたが、戦後に再び記念館
の完成に力を注いだ。
あの有名なマレーのファーブル像も夫人が村に働きかけて建立されたものである。
また私財を投じて当時と同じ家財や資料を収集して博物館とした。
生家とは言っても本当にファーブルが生まれたのは隣にあったボロ家だったと、
夫人が津田先生に告白している。家があまりに傷んでいたので隣に移ったという
ことのようだ。
マレーの銅像については逸話が残っている。第二次世界大戦中ドイツ軍に奪われた
像をレジスタンスが奪還したという話だ。
真偽は不明だがレジスタンス側の隊長名も明らかになっているので信憑性は高い。
このレジスタンス部隊については以前調べたことがあるのだが、それらしい資料
は見つけられなかった。マレーの像が大好きな小生にとっては英雄であるので、
余裕があればまた調べ直してみたい。
ガヴァルダ夫人。背景にプロヴァンス語で "コガネムシ詩人の家" とある。
「Les Cahiers Rouergats」 1973年 第11号掲載。
1972年ガヴァルダ夫人書簡、動物学者グラーセ教授宛。
ミヨーの戦勝公園に一時保管されていた時のファーブル像。
ミヨーは南仏アヴェロン県のコミューン。
制作したマレーが住んでおり、サン=レオン村からは南に10数kmの位置。
銅像はかなり重いはずなので輸送は大変だったと思われる。