去年の秋にフランスのオークションに参加した。
ファーブルに関連する人物の書簡を幸い落札できたのだが、未だに届かない。
下手をすると半年くらい経過してしまいそうだ。
慣れてはいるが、どうやったらこんなに時間がかかるのだろうといつも思う。
ブログに書こうと思っているものがあっても、こんな調子で遅々として進まない
のである。掲載するまでに至ってないが、進行中の取引は他にもいくつかある。
その中でも、今、苦労しているのはファーブルの机だ。
もちろん限定の複製品だが、手元に来るにはもう少し時間がかかりそうだ。
お店からではないので梱包だけでもいろいろ問題が起こる。
先方もいろんな人に頼んでいたようだが、安い金額で動いてくれる人がいなくて
困っていた。梱包も日本への発送もエライ値段をふっかけてこられるという。
安価な金額では働きませんよ、という業者ばかりということのようだ。
フランス人が嘆くくらいなので、こちらからするとフランスって大丈夫なのか?
とさえ思えてくる。
逆に日本からの発送の場合は楽勝なので、こちらに留学しているフランス人の大学生
にこのことを聞いてみたら、 ” 怠慢 lazy ! ” と言っていたのが印象的だった。
ファーブル先生の母国を悪く言いたくないのだが、現地に長く住んでいる日本人
の知人もそう言えば以前よく嘆いていた。
ずいぶん前の話なので今は改善されているかもしれないのだが、
まぁとにかく ” 来ない " のだと言う。
例えば水道管が壊れる。
もちろん連絡して修理をお願いする。
そして誰も来ない...
見積もりに数か月、さらに実際の修理はいつになるかわからない。
つまり、自分で直せということなのだろう。
日本に帰ってくるとサービスが良くて、嘘のように楽だと言っていた。
他にも郵便局でずらっと客が並んでいても、全く急がないマイペース職員の話。
ちょっと田舎の方だと救急車がなかなか来ないとか。
それでいて夏のヴァカンスはきっちり休む。
高熱でウンウンと友人の子供が唸って、これはインフルエンザだろうということで
近くの医者に診てもらったそうだが、鎮痛解熱剤一つ渡されて終了。
日本ならインフルエンザの検査をされ、抗インフル剤を処方されるのだろう。
日本が至れり尽くせり過ぎるのかもしれない。
何と言ってもそれであちらは成り立っているし、そのインフルにかかった子供は
今も元気なのだから、もう何が正しいのかわからなくなってくる。そして、そんな
フランス在住の友人も結局フランスに住み続けていて人生を謳歌している。
” そんなに働いてどうする、人生は一回だぞ " と、こちらは言われているようだ。
面倒見が良すぎるというのは個人の自立にはマイナス要因になるのかもしれない。
世話を焼かれ過ぎないというのも慣れれば気持ちが良いらしい。
小生はよく電車を使うが、あまりにも注意を促すような放送が多くてうんざり
している。どなたか海外のいろんな国と比較して欲しい。こんなに放送する国は
日本の他にもあるのだろうか。しばらく駅のベンチなどに座っていて、毎日のように
同じ放送を繰り返し聞いていると嫌になる。しかもどう考えても何かあった時の
ために、自己防衛的なものが多いような気がするのだ。
いろいろ不満を含めて書き連ねたが、ファーブル先生については間違いなく働き者
である。そして、「ラボレームス ! 」辛い時こそ働くべきだと言っている。
フランスらしからぬと言うと失礼だが、こんな所が日本人の共感を得たのだろう。
ただ、昭和の初期くらいのファーブルについての記事を読むと、少し利用された感も
ないわけではない。
つまり、勤勉であれ!とか、かのファーブル先生を見習おう!という言い回しが
少々気になるのだ。
ファーブルの手
1911年 6月 「 プロヴァンス万歳 Vivo Prouvenço ! 」というプロヴァンス語の新聞
に掲載された写真。
昆虫記 第10巻 22章 応用化学に、デュリュイがアカネ染色で赤く染まったファーブル
の手を「職人の手」として褒めた経過が詳しく記載されている。
写真では爪や指先についてしまった色が残っているようにも見えるが、長年の研究
で誰よりもたくさん浴びた紫外線による変化なのかもしれない。
いろんな昆虫に触れ、とてつもない量の原稿を書いてきた、最もファーブル先生を
知っている " 手 " である。