昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの疑問ーヨブの苦難

以前「ファーブルの疑問ーセネカの答え」というブログを書いた。

ファーブルの疑問は、神がこの世を創造したのなら、悪の存在や食物連鎖

問題を含め、なぜこんな不完全なシステムを創り上げたのかというものだ。

それに対してセネカの「摂理について」という文章を引き合いに出した。

セネカは”試練によって鞏固になる”といった非常にストア派的な答えを用意して

いたのだが、小生は今もすっきり納得できずにいる。

 

どうもこの悪の問題は誰もが考えつく矛盾であるようだ。

全く信仰を持たない者にとっては神はいないので、このような矛盾、つまり全知全能

であるべき神がなぜ悪を容認しているのか?ということは問題にならない。

災いが起こるのは偶発的、確率の問題であり、被害に遭った人自身の善悪は何も

関係ないのだ。単純に運が悪かっただけだと考えることができる。

ところが信仰に厚く全くの善人が困難に遭えばそうはいかない。

あんなに信仰深い人になぜ災いが?という疑問が湧くのだ。

そして本当に神はいるのだろうか?とか、どうすれば神は応えてくださるのか?

という気持ちになりがちで心は揺さぶられる。

 

これらは弁神論とか神義論と言われている。

ライプニッツにより1710年に命名されたが、古来より問題になっているテーマで

ある。神のご意志を人間の価値観で想像し議論するということ自体が、そもそも

おかしいのではあるが、不可知論は別にして「なぜ神がいるのに悪があるのか」

という問いかけに対する明確で納得のいく解答を小生は知らない。

 

この矛盾を説明するのには三種類の方法が考えられる。

1、神が完璧であるという設定を変える。

2、善人である被害者の設定を変える。

3、災いの設定を変える。

 

1.は神も完全ではないとか、すべてを把握しているわけではないなどという理由

をつけて矛盾を解消しようとするものだ。

いやいや、完全でないなら神とは言えないでしょう…と否定されかねない。

2.は善人と言っているが本当にそうか?とか、そもそも人間はこの世に生まれて

より罪を抱えている(原罪)のだ、という理由づけである。

3.は災いがあって結果的に被害者が鍛えられるのだといった言い分で、セネカ

答えもここに入るのだろう。「悪の善化」と言うらしい。

みてわかる通り、どれを選択しても人間が考えた言い訳のような気がして仕方が

ない。小生が答えに納得できなかった理由の原因がここにある気がする。

 

旧約聖書ヨブ記という話がある。

ヨブと言う信仰の厚い善人が次々に不幸に見舞われる話で、まさに悪の問題について

考えさせられる。最終的にヨブの問いかけに神は反応しヨブは幸せな余生を送る。

ヨブ記をファーブルが読んでいたかはわからないが、生物の生死を常に観察してきた

ファーブルがこの悪の問題を疑問に思うのは当然の事だろう。

ただ、この悪の問題を疑問に感じるというのは、何がしかの創造主を想定しており

ファーブルが完全な無神論者ではないということを示唆している。

カトリックの影響を受け神の存在は考えていたと思うが、後にファーブルが思い

描いたのは、キリスト教とは異なり自然と一致するような神である。

つまり汎神論的宗教観でかつ一神教的な創造主を想定していたように思われる。

 

ヨブ同様、ファーブルも困難な人生の中で何度も心の中で叫んでいたかもしれない。

"なぜ真面目に働いていた自分がアヴィニョンで迫害に遭わなくてはならないのか”

”なぜ職を奪われ住居も追い出されなくてはならないのか”

”どうやってこれから生活していけばいいのか”

”なぜ次々にかわいい子供たちが早逝していくのか”

”この世に本当に神などいるのか”

そして才能ある後継者、息子のジュールが16歳で亡くなる。

"何の罪もない有能な息子をなぜ自分より先に奪われなくてはならないのか”

 

ただ、ファーブルはヨブとは異なり、理不尽な苦難の中でキリスト教的宗教観から

は大きく離れていったと小生は考えている。

ファーブルの問いかけにファーブルの信じる神が応えたかはわからないが、

友人のミルや出版社などの援助を受けながらも、神や他者に依存するだけでなく

ファーブルは自分自身の力で厳しい時代を乗り越えたと考えていたのではない

だろうか。

もちろん以前のブログで述べたが、この間にファーブルはセネカの著作に救われ、

魂の不滅・来世の存在といった宗教観も同時に形成されたのだろうと小生は思って

いる。

 

最近、「神がいるなら、なぜ悪があるのか」現代の神義論 関西学院大学出版会

という書籍を読んだ。内容は小生には非常に難しかったが、翻訳は丁寧なので

ドイツ語原文や扱っているテーマそのものが難しいのだと思う。

この神と悪の問題について疑問を持った方はぜひ読んで頂きたい。

 

読んで興味を感じた点は、神が人間に自由という権利も与えたので悪を選択する人間

も出てくるという話。そしてそれに神が介入してしまえば人間の自由も奪われる世界

になってしまうと。

それから最も感心したのは、上記3.に掲げた理由づけ「悪の善化」は現代では通用

しないということを率直に述べている点である。

例えば何の罪もない幼い子供などが被害に遭った場合、亡くなった被害者にとって

これを試練などという言葉で片付けられるのか、という厳しい問いかけにも率直に

触れている。これは反論困難な難しい問題だが、この問題によって神の存在まで否定

してしまうことになれば、神学的には被害者が救済されるという希望まで奪うことに

なりかねないと述べている。

 

神と悪の存在に対して簡単な答えなど用意できない、無理な解答をひねり出すので

なく問題を考え続けることが重要で、現在までの神義論の進行状況を詳しく述べて

おり誠実な内容だと感じた。

そしてこれがドイツの大学生用の教科書として作られたというのだから驚く。

強制収容所の話、そしてカラマーゾフの兄弟の中のイワン・カラマーゾフの問いが

大きく取り上げられているのも興味深い。

 

注:ドストエフスキーの作品「カラマーゾフの兄弟」の中のイワンは三人兄弟の

  次男。罪もない子供が犬に殺される話を持ち出し、幼い犠牲の上に成り立つ

  ような神の国など要らないと厳しい問いかけをする。 

 

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

 

  

 

神がいるなら、なぜ悪があるのか

神がいるなら、なぜ悪があるのか