昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルと聖書ーパウロ

今までのブログで何度か述べてきたが、ファーブルはカトリックの様式に従って逝去

したものの、真のキリスト教徒ではなかった。

これはファーブル自身も述べていることであり、晩年アヴィニョンのラッティ大司教

が直接訪ねて来たり、書簡をファーブルに送り信者への高みに進むことを促している

が最後までかみ合うことはなかった。(ブログ:ラッティ大司教の書簡 参照)

 

ファーブルが衰弱してから看護修道女のアドリエンヌが付き添っていた。

彼女は夫人の世話もしていたが1912年に亡くなった後は、そのままファーブルの

世話をした。ファーブル宛の手紙の返事なども代筆しているので、看護や介護だけ

でなく身の回り全般の世話もしていたようだ。

ラッティ大司教はこのアドリエンヌに書簡を送り連絡を取ることで、接し方を

彼女に指示してファーブルをカトリックの信者として旅立たせようとしていた。

ただしファーブル自身の宗教観は何ら変わっていないので、無理に祈りの言葉へ

導こうとするとファーブルは強い拒絶反応を示したという。

 

小生のように、これらのことを好意的に捉える見方はあると思う。

1860年代にファーブルは迫害を受けている過去を持っている。当時、異端者とまで

言われアヴィニョンを追われたことは大司教も知っている。

このままではファーブルの魂は救済されないと真に思っていたのかもしれない。

一方で小生のフランスの知人のように、厳しい見方をする人もいる。

彼はロビー活動の一環であると言うのである、小生にはその意味がよく理解でき

ないが、有名な人を信者に取り込み教会の権威を拡大するという意味なのかも

しれない。

 

そんなファーブルなのだが、聖書については嫌っていたわけでなくルグロ博士の

伝記によると、非常に好んだ部分もあったことが書かれている。

読み物としてよく出来ているとファーブルは述べてもいるので、聖典としてでは

なく物語として好んでいたという意味のようだ。

 

いくつか好きな部分があるようで、その一つが使徒パウロに関するものだ。

小生はなぜファーブルがパウロを好んだのか理由を知りたくて「使徒のはたらき」、

パウロ書簡」など読んでみたがよくわからないでいる。

パウロはキリスト存命時に入信したわけでないので厳密には使徒とは言えないが、

それでも使徒と称されるほどの初期キリスト教での重要人物である。

書簡がまとめられ新約聖書になっている程なのだから、非キリスト者の小生が

少し読んだ程度では理解できるはずもない。

 

パウロという人は直接の接触はなかったが、キリストがまだ生きていた時代に生ま

れている。ユダヤ人でローマ市民、もともとユダヤ教の一派に属しキリスト教には

批判的な立場を取っていて、その弾圧に加担していたとされる。

ユダヤ教ではメシアはまだ出現していないという立場であるので、イエスの言う自分

が救世主だという主張は受け入れられるはずもない。

そしてユダヤ教と違って律法を順守することが絶対ではないとなれば、許せない人達

だということになる。

  律法:神から与えられた掟、モーセ十戒など。

 

パウロの有名な逸話が "ダマスコの回心" である。

ダマスコに近づくと突然天から光がさしサウロは「なぜ、わたしを迫害するのか」

という主の声を聞く、そして目が見えなくなったが、導きのままダマスコの町に

入り、そこで主の弟子アナニヤが手をのせると鱗のようなものが取れ、再び見える

ようになる。それからサウロという名をパウロへ改め回心し、主の言われるままに

キリスト教の布教に専心することになる。

 ダマスコ:シリア首都、ダマスカス

 回心:真の信仰に改宗すること

 

ユダヤ教では律法を順守することが求められたが、パウロはこれを絶対化せず

主の命に従い、特に異邦人(非ユダヤ人)への布教活動に力を入れる。

しかし、パウロの方針には身内のユダヤキリスト教徒からも批判があり揉めた。

中でもアンテオケの衝突と言われる事件があり、異邦人の信者らとの共同の食事が

中止になってしまい、ペテロなどの重要人物らとも袂を分かち孤立することになる。

割礼を受けていない異邦人と一緒に重要な食事をするなどもってのほかの事だった。

回心前は律法を守ることに厳しかったが、回心後は今度は律法順守の問題とパウロ

は格闘することになる。

 アンテオケ:シリアの都市、アンティオキア

 割礼:性器の一部を切開する、ユダヤ教では神との契約

 

それでも主から与えられた自分の使命だと信じ、命をかけ伝道に邁進していく姿が

ファーブルには何か感じるところがあったのだろうか…。

パウロのことをファーブルは「おので刻む使徒」と呼んでいたそうだ。

これはどういう意味なのだろうか?

 注:講談社文庫版 ファーブル伝 参照。

        河出書房 ファーブルの一生 椎名其二訳では「斧をふるって刻む使徒

 

聖書の中には「木の根元には斧が置かれている」というヨハネの言葉がある。

ルカ福音書とマタイ福音書の第三章に出てくる。以下、新共同訳聖書から引用。

 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて

 火に投げ込まれる。

 

小生には理解困難だが、斧は神の裁きを意味しておりイエスを救世主として従わない

者は地獄行きだということらしい。

つまり、ファーブルの言う「斧で刻む使徒パウロ」というのは、キリストに従わない

者には厳しい姿勢で臨んだ人だったという意味となる。律法よりもキリストへの信仰

こそが正しいあり方としていたのだから当然かもしれない。

 

パウロは各地で布教に専心するが拘束されローマへ護送される。

その後の行方ははっきりしないが、殺害され殉教したとされている。

ファーブル自身がキリスト教の信者ではなくても、パウロのように自分の一生を賭け

目的に向かって進む生き方に共鳴するところがあったのかもしれない。

 

ところで、ファーブルにとって師と呼べる人はいたのだろうか?

モカン=タンドン教授には唯一の解剖の手ほどきをコルシカで受けたが、後に教授

を訪ねた際は歓迎されることもなくファーブルはがっかりしている。

レオン・デュフールの研究もファーブルは参考にし有名なツチスガリの論文を書き

賞をもらっている。しかしデュフールと交流はあったが、直接何か教えてもらった

わけではない。

他に植物学者のルキアンやルコック教授、時代は違うがレオミュールなど挙げれば

名前は思いつくが、やはりファーブルは自然を師とした独学なのだと思う。

 

それでは、パウロはどうだったのだろう。

反対を押し切って布教に邁進したイメージがファーブルにはあったのだろうが、

ファーブルが言う「斧で刻む使徒」とはパウロの強さの他に孤独さを含んだ言い方

のようにも感じる。

学問上、独学・孤独のつらさはファーブル自身がよくわかっているはずだから、

パウロの苦労に思いを馳せることで、どこか自分の歩んだ人生に重なる部分があり

共感できたのかもしれない。

 

このパウロへの想いから、ファーブルは自分の子にポールやポリーヌと名付けた

のではないか?と小生は勝手に想像している。

それなら二度目の結婚で生まれた三人の子のうちの二人までに、パウロ由来の名前

を使用した理由としてうなずける。(ファーブルの家系図ー二度目の結婚 参照)

気になる点はカトリック教会とうまく行かなかったファーブルが、聖書の中の話を

好んだというところだ。

パウロは実在の人物だが、やはり物語としてみていたのだろうか?

それとも当時のフランスの教会とキリスト教初期の出来事とは一線を画すと考えて

いたのだろうか。

 

そして使徒パウロは自分のことを "小さき者" と呼び謙遜しサウロから改名したが、

ファーブルもまたポールのことを "小さなポール petit Paul " と長く呼んでいたそう

である。(平凡社 ファーブル伝 参照)

ただの愛称なのか?

それともファーブルがどこまで意図して息子をそのように呼んでいたかは不明だが、

この呼び名からは使徒パウロを連想してしまう。

やはりファーブルは偉大なパウロを念頭に置いて、息子らにも力強く育って欲しい

と願っていたのかもしれない。

 

ちなみにファーブルの娘ポリーヌの妹はアンナ Anna という名である。

一方、ダマスコの回心で登場するアナニヤ Hananias は、イエスの弟子でパウロ

眼を回復させた人物。

男女の違いもあり全く違う名前なのだが、何となく発音が似ている?と思うのは

小生の考え過ぎだろうか。

 

使徒パウロの神学

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使徒のはたらき―新約聖書 (岩波文庫 青 803-2)

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新約聖書〈4〉パウロ書簡

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新約聖書 福音書 (岩波文庫)

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使徒パウロ―伝道にかけた生涯 (NHKブックス (404))