昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの墓の謎ーファーブルの格言

セネカの倫理書簡集全124通の中には、死や魂について興味深いことが何度も

書かれている。もちろんファーブルも読んでいたことだろう。

 

第82通より

わたしたちは自分が知っているこの世界を良く知っている。しかしどのように

退去するのか。またその後行くところにはなにがあるのか。わたしたちには

まったく未知のことである。

…死は恐ろしいことではないのだと説得しても、またつぎの恐怖がひとびとに

とりついてしまうのだ。

地獄の闇で「生きる」という恐怖と、どこにも存在しなくなるという恐怖だ。

 

第88通より

魂に関する問題だけでも無数にある。いったい魂はどこから来たのだろうか。

いつその存在を始めたのだろうか。どのくらいの時間存在するのだろうか。

…居場所を変えるのだろうか。…解放されたら宇宙のなかに消え去るのだろうか。

 

第102通より

わたしは魂の不死を信じている。…わたしはこのすばらしい希望に心身を

ゆだねていた。

            (ルキリウスへの手紙/ モラル通信 近代文芸社参照)

 

一部分だけ取り出すと意味を損ないかねないので全文読む必要があるが、

ストア派セネカが魂の問題について思索を重ねているのは意外だった。

強いセネカとはまた別の側面をのぞかせている。

狼狽せずに、怖れずに死を迎えることがいかに困難であるかということだろう。

死ねば全て終わりでは、どこにも存在しなくなる恐怖からは逃れにくい。

ここにはソクラテスプラトンの影響がうかがえるようだ。

 

ファーブルも来世や霊魂の永続を信じていたようだが、どこから得たものかは

はっきりしない。

ギリシャ哲学からか、セネカの影響か、それとも自分の人生の中で獲得して

いったものなのか。

 

前に「ファーブルの最初の教科書(続)」というブログの中で述べたが、

1860年代までファーブルはカトリックとの関係は悪くなかった。

自費出版の最初の教科書には大司教の推薦文が掲載され、テキストの最後の結論

部分では読者に向けて神の存在についても述べている。

自分の信仰が既にキリスト教と大きくかけ離れていたのなら、生徒たちに嘘を

ついたことになる。

まぁしかし、カトリックに忖度しなければ教科書も刊行できないとなれば、

生活も苦しかったし、神に言及するのも止むを得なかったのかもしれないが、

ファーブル先生はごまかしの嫌いな人である。

したがって、当時はまだカトリックの宗教観とファーブルの神は、後年ほどは

かけ離れていなかったのかもしれない。

ただアヴィニョンでの迫害を契機に大きくキリスト教的宗教観から離脱したと

小生は推測している。

 

町を追い出され熱心に取り組んでいた教職など全て失い、異端とまで言われ非難

されればファーブル先生でなくてもカトリックと距離を置くのは当然だろう。

神の試練と考えられるほどファーブルは熱心な信者ではなかった。

そして家族を失う不幸に見舞われる中でセネカの言葉を見い出し支えられ、

また自然と濃密に接するうちに人格神的な宗教観は薄まっていった。

その中で、神即自然の汎神論的世界観がファーブル先生の中で自然と構築されて

いったのではないだろうか、というのが小生の考えるファーブルの宗教観である。

 

そして、このファーブルの汎神論的世界観には霊魂不滅や来世の思想が伴っており、

それが墓石の二つの格言に表れている。

一方がセネカの文であり、もう一方が墓石の反対側面に彫ったファーブルの格言

である。

 

MINIME FINIS SED LIMEN VITAE EXCELSIORIS

死は人生の終わりではない、もっと高いところに行く入り口だ

                  (ファーブル巡礼 新潮社参照)

死は終わりではない、より高貴な生への入り口である

                  (完訳ファーブル昆虫記 第10巻下参照)

単語の意味:

 Minime  最も~でなく

 Finis  終わり、死

 Sed  しかし同時に 

 Limen  入口、始まり、敷居

 Vitae  生命、人生、生活、一生

 Excelsioris  より高い(優れた、高貴な)比較級

 ラテン語における vitae というのは、ただの人生という意味でなく、

かなり広義な意味を持つようで、そのため生と訳されているようだ。

魂の人生では確かにおかしい。

 

ファーブルはこの言葉を晩年よく口にしていた。

言葉の由来を書いているものは見当たらず、今のところファーブル自身の作と

いうことになっている。語学の得意なファーブルにとっては決して難しい文章

ではないし、声に出したときの聞こえも良さそうだ。

 

以前書いた「ラッティ大司教の書簡-(1)」のブログの中で、

大司教は「より高貴なる生の入り口 Limen vitae excelsioris まで昇った者は、

さらに高くまで昇らねばなりません」と、この言葉を使ってファーブルが

キリスト教の更なる高みへ進むのを促している。

おそらくファーブルは大司教の訪問を受けた際に、会話の中でこのお気に入りの

言葉を使ったのではないだろうか。

しかしファーブルが思い描いていた「より高貴なる生」と、大司教のそれは全く

異なっており、もちろん大司教キリスト教の世界を思い描いていたのである。

 

イエス・キリストの教会、つまり魂の全世界的な社会に完全に入らねば

なりません。小さき者も、みすぼらしき者も、魂の偉大な者も皆、崇高な人生に

おいて聖体拝領をし、永遠の希望を強めることが出来るのです」

とファーブル宛の書簡に書いている。

  

このファーブルの格言の元になっているものはないかとずっと探している。

アメリカのアシュビルという学校のモットーは、Vitae Excelsioris Limen で

半分は一致している(学校側の英訳としては Threshold of a higher life )。

さっそく由来を問い合わせしてみたのだが、未だ返事は戴けていない。

ただ学校の設立が1927年なので偶然なのかもしれない。

他に、ギリシャ、ローマ時代の思想家の著作や格言集などで探しているが、

似た文言は今のところ見つけられないでいる。

 

格言の出所は不明ではあるが、言葉の意味はセネカの墓碑銘とかなり類似している。

ファーブルのこの言葉も、魂の不滅や来世を連想させるからだ。

明らかに影響を受けたと思われ、セネカの言葉を踏まえたうえでファーブルが

作ったのでないかと小生は今のところ考えている。

ただし「より高貴なる生への入り口」と書いており、内容はセネカの言葉よりも

踏み込んでいる。

霊魂の不滅、そして彼岸の存在こそ傷ついたファーブルを慰めてきた考え方であり、

信仰の核心を表現しているようだ。

 

1912年には二番目の夫人、1914年には息子エミール、弟フレデリックも旅立った。

父アントワーヌも既にいない(1893年93歳で逝去)。

セネカの言葉と残った家族らの存在が、ファーブルの支えになっていたはずである。

 

では、ファーブルの言う「より高貴なる生」とは何だろうか?

災いや争いがない、そしてもちろん食物連鎖もない崇高で完全な世界を考えていた

のだろうか。肉体という牢獄、器に縛られない霊魂のみの世界でこそ、より高貴な

生を送れるとファーブルは捉えたのかもしれない。

身体から離れて初めて、彼岸やあの世 (au-delà) と呼ばれる世界の入口に立つこと

ができ、そこでの永遠の生が待っているのだと言いたいのか。

 

「肉体の死は全ての終わりではない。魂は不滅であり肉体という器から自由になる

ことで、争いのないより崇高な世界へのとば口に立てるのだ。」

ファーブルの格言を勝手に膨らませると、こんな意味だろうか。

死を礼賛しかねない危うさも少々感じるが、決してそういうことではないと思う。

先に旅立って行った愛するものたちとのつながりを信じ、自身の慰めに必要な

宗教観であって、ファーブルが現世での生を全うするために欠かせない考え方で

あったはずだ。

 

少しだけ先に旅立ったジュールや愛する家族はそこで生き続けていて、

またすぐに逢えるのだから哀しむ必要はない。

楽しかった思い出もまた話すことができる。

いずれはみんなそこに行くのだから…

そんな想いを込めてファーブルは墓石にこの言葉を刻んだのだろう。

 

セネカ哲学全集〈5〉倫理書簡集 I

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セネカ哲学全集〈6〉倫理書簡集II

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American Boarding Schools: Directory Of U.s. Boarding Schools For International Students

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完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下

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