昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの天才論

昆虫記第6巻3~4章にはファーブルの天才に対する考え方が書かれている。

天才というとその優秀な才能を持った人物のことを指している印象を受けるが、

ここでは主に生まれ持った特別な才能、天賦(てんぷ)の才を意味している。

ファーブルは自身の昆虫に対する思い・才能が、親族にまったく思い当たらないこと

を示し、この持って生まれた能力の由来は誰も分からないことであり、遺伝ではなく

まさに天から与えられたものであるということを強調している。

 

3章の原題は L'atavisme でこれは隔世遺伝の意味である。今までの邦訳はみな原題

のとおりだったが、集英社版では”私の家系”とされていて分かりやすくなった。

ファーブルの頃にまだメンデルの評価はされておらず、遺伝の法則は主に混合仮説

(両親の形質が混ざるという考え方)である、したがって孫世代に突然祖先の特徴が

現れるという隔世遺伝は認識はされていたが、そのシステムは不明なままだったと

思われる。混ざるだけなら祖先の特徴は徐々に薄れていくはずだからである。

ファーブルはダーウィンに比類なき観察者と称された才能が、この隔世遺伝という

機序も分かっていないもので片付けられるということに対し、非常に反発したような

印象である。ほんとうにファーブルは遺伝法則(メンデル以前の)にしても進化論に

しても、想像の産物のような理論で自分が取り組んできた観察研究や考え方が縛られ

るのを好まなかったようだ。

 

さて、皆さんはどう思われるだろうか。

メンデルの法則が知られる以前であるにしても、小生はこの才能の突然出現説は

賛成できない。一見、急に発現したように見えるが、実はその才能の萌芽は祖先の

誰かが持っていたものではないかと思っている。問題なのはわれわれ自身がその由来

を認識できていないだけではないだろうか。ファーブルの父も母も虫好きなどという

特徴はなかったと昆虫記には書いている、また厳格、寡黙な祖父にもそんな面はなか

ったらしい。ただファーブル自身も祖父母以前の祖先の知識はなかったようだ。

田舎育ちで農家か畜産を小規模でやっていく以外、生きていく手段がなかった時代で

ある。例え才能があったとしても勉強に励む環境にはない。そんな状況では資質が

あったとしても開花するはずがないのだから遺伝の有無など知る術もない。

 

例えば、ファーブルの父アントワーヌは92歳(1800?~1893,1月)という長命だった、

肖像を見ると明らかに頑丈そうな骨太な顔貌である。この頑健さはファーブルに明ら

かに遺伝している。昆虫好きではないが、都会の魅力に誘われカフェなど開業しては

失敗するという、当時としてはなかなか変わった人である。無理に推測すれば非常に

好奇心が強い方だったのではないだろうか。普通なら田舎で農業の仕事を継いでいた

はずであるが、そんなきつい仕事の貧乏暮らしを嫌い変化を望み、新しいものへ飛び

込んでいける勇気はあった人である。これはファーブルに遺伝していないだろうか?

そして、ファーブルも触れているが、世話になった父方の祖母のことである。この人

は非常に優しくてファーブルによく昔話など聞かせてくれたという。

獣、毒蛇、ドラゴンなど出てくる話はファーブルを惹きつけたようだ。ファーブルは

遺伝を否定しているが、小生にはこの祖母の聡明さが文章から伝わってくる。

そして、厳格な祖父にしても一生コツコツと働き、寡黙ながらその根気強さは孫の

ファーブルに遺伝していると言えないだろうか?

(父方祖父Pierre Jean FABRE、祖母Elisabeth POUJADE エリザベート・プジャド

1770~、フランス革命戦争勃発1792~99年、1800年に父アントワーヌが誕生、

ファーブルは最初の子にエリザベート命名している)

この祖父母の性格はファーブルの父アントワーヌに遺伝してないが、孫のファーブル

には受け継がれた可能性はあると小生は思う。

 

ちなみに、小生のイカレタ蒐集癖はどこに萌芽があったのだろう。

父母にそんな趣味はない。一度だけ会ったことがある父方の祖父は、部屋に竹で作っ

た鳥かごが山ほど置いてあり、綺麗な小鳥がたくさん入れてあった。

祖父は手に煙管を持ちながら初めて会った孫の小生に鳥の自慢をしていたが、祖母は

ある日、出て行ってしまったそうだ。詳しくは父も教えてくれなかったが、なるほど

これでは呆れて出ていくだろう。小生の蒐集癖もこの祖父からの隔世遺伝なのだろう

か?自分の特性の根っこがどの祖先から由来しているかなど実際分かるはずもない。

それほど記憶はいい加減で曖昧なものだし、十分知っているわけでもない。

自分の父母はどんな人かと問われれば、原稿に何枚も書ける自信はない。家族に見せ

る顔と外面も違うだろう、人の本質は家族であっても全て知っているわけではなく、

祖父母に至っては尚更である。したがって、自分の特性の萌芽がどこにあるのかない

のかなど分かるはずもなく、まして誰からも遺伝していないなどということは

ファーブルであっても断言はできないと小生は考える。

そして何よりファーブルは祖先については論じているが、遺伝について批判するなら

なぜ自分の優秀な子供達への言及を避けているのかが小生には不思議でならない。

例えば数学を生業にしたエミールの才能は父からの遺伝ではなく、偶然とでも言うの

だろうか?(以下、勝手な手紙を小生はファーブル先生に捧げたい)

 

親愛なるファーブル先生、

わからないことがたくさんあって、先生にお尋ねすることをお許しください。

先生は1899年に刊行された昆虫記第6巻で、才能の遺伝について否定されています。

しかし、私は先生が触れておられない部分が気になって仕方がありません。

先生の頑強な身体は残念ながら受け継ぎませんでしたが、比類なき博物学的才能は

あのジュールへしっかり遺伝していたはずではなかったのですか?

早逝してからひと時も忘れることがなく、あなたが愛してやまなかった息子です。

発見した虫にジュールの名を付け、昆虫記は彼のために書いたはずです。

あなたは墓石に残した格言どおり高貴な魂の世界で彼ともう再会しているはずです。

生きていればあなたを超えたかもしれないと思わせるほど優秀でした。

先生はそれでも才能の遺伝というものの存在を否定されますか?

 

 ファーブルは昆虫の本能は天賦の才であるという。本能は人間の天才と同様だが虫は

この才能が等しく与えられているという点が人間とは異なるらしい。

ファーブル自身の才能の由来が不明なのと同様に、本能・天才がどこから由来して

いるのかは分からないと述べている。ただ ”在るものはある” という言い分である。

これは聖書の出エジプト記に出てくる神がモーセの問いに対して言った言葉、

"わたしは在りて在るもの" と掛けているようにもみえる。この解釈は難しいが存在に

理由などないと言ってるように小生は感じる。

 

第6巻4章 "私の学校"の最後に、”本能とは虫における天才なのです”と書かれている。

小生はこのくだりがどうもよく理解できない。

虫は本能という天才的能力を持っている、というのは分かるが、その本能を持って

いる昆虫はみな天才と言っていいのだろうか?人間の場合も本能はやはり優れた能力

だが、それだけでは天才と言わない。本能を持っていてさらに群を抜く何か才能が

ある人を天才というはずだ。小生は虫屋でないのでよく知らないが、同じ種の虫でも

個体差というものがあるのなら、その中で特に優秀な個体を天才と呼ぶのが本当の

言い方なのではないだろうか。

 

昆虫の行動があまりによく出来ているため、それを本能と呼び、天才と称したという

ことは理解できる。しかし、昆虫がみな天才なら、それはもう天才とは呼べなくなっ

てしまいそうだが、そんな相対的評価をファーブルはここで言っているのではない。

昆虫行動の巧みさを常に観察していたファーブルが、彼らの本能を天才と称したのは

ファーブルの昆虫たちに対する絶対的な評価だったのだろう。

そしてそれはファーブルの忍耐強い研究に基づく本能への敬意であるように思える。

 

それにしても、ファーブルの考え方は本能でも天賦の才でも最終的には誰にも分から

ないという理屈になってしまう。あれほど熱心に研究してきたはずなのに、何か結論

付けてもいいように思えるのだが、安易に理論づけすることを決してしないし、拒否

しているようにさえ見えるのはなぜだろうか。

観察して確認したものしか信じないのだから当然なのだが、これはファーブルの宗教

観(と言っていいかわからないが)が関わっているのかもしれない。

ファーブルはキリスト教のような奇蹟を起こす神を信じてはおらず、むしろ自然も

動物も全てを包含するような存在としての神をイメージしていたようだ。

(これはこれまでの資料から類推した小生の勝手な意見であることはお許し願いたい)

そこで生まれ落ちた生物が、本能と呼ばれる素晴らしい才能を持っていたとしても、

決して不思議ではないのである。むしろ人間が創り出した進化論や遺伝の理論などで

その生命の仕組みを簡単に(簡単ではないのだが)説明されることに、とても受け入

れがたい拒絶反応を感じていたのではないだろうか。自然が創造した奇跡をつぶさに

観察し続けたファーブルだからこそ、理論への安易な賛成は決してできなかったもの

と推測できる。

そして、その突っぱねるファーブル先生に小生はまた惹かれてしまうのである。

 

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昆虫記第6巻3章 隔世遺伝(私の家系)L'atavisme

冒頭部分原稿。左上部に校正工サイン。

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科学的資質 une vocation scientifique 1898 Delagrave

11x17cm 36頁ほどの小冊子、雑誌連載された同題の文をまとめたもの。

これが肉付けされ準備中の昆虫記第6巻3~4章部分になったようだ。

この冊子はドラグラーヴ社刊だが、書誌にはなく一般流布したかどうかも不明。

左にサン=レオン村の風景のポストカードが添付、

右頁は弟ジャン・フレデリック・ファーブルへの献呈サイン。

親愛なる弟フレデリック

 私の忠実な友へ愛情のこもった思い出

 ジャン=アンリ・ファーブル

 1910年5月12日 セリニャン

(最後に何か書かれているが、プロヴァンス語のようで解読できていないのが非常に

残念である。筆跡は高齢のため弱々しい)

なぜ刊行10数年後に弟に献呈したのか不明。兄は迫害されアヴィニョンを去ったが、

弟は残り晩年はクリヨン運河管理人をしたあと、同地にて1914年に逝去している

("弟フレデリックの仕事" 参照)。弟に迫害は及ばなかったのだろうか?

1910年は弟は84歳、兄は86歳、兄弟で会話する機会でもあって、懐かしい故郷の話が

出たのだろうか。

 

(p.s.)

前々回のブログコメントで、ファーブルの伝記映画についてご指摘いただいたので

以下掲載した。以前、海外からセリフ本と一緒に取り寄せたことがあるが、日本語

字幕付きはとても有難い。他にパスツールらも収められている。

完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上

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