もうしばらく前になるが、やはり海外のサイト経由で書籍を購入していた時に、
あるフランス人の方と知り合いになった。
そのサイトで何を買ったか忘れてしまったのだが、たぶんファーブルの古い教科書
など購入したのかもしれない。わざわざ日本から何冊も頼んだので興味を持って
くれたのだろう、その後メールでやり取りするようになった。
その方は大学の教授職はすでに退官されていたようだったが、引退後もコルシカ
時代のファーブルの研究などされていた。こちらも何だか嬉しくなって話の流れで
所蔵しているファーブルの原稿や書簡を提供することになった。
資料のスキャンなどを先に送ったが、直に現物を見たいという強い希望が彼にあった
ので、紛失しないことを願いつつフランスに急いで郵送した。
所蔵している資料が死蔵にならず活用されるというのは、小生が以前から望んでいた
ことだったのでこちらにとっても光栄な話だった。
(ブログ:コルシカ島のファーブル参照)
彼は自分を信用してくれて資料を送ってくれたことにとても感激したようだった。
そしてお礼にということで、ファーブルの息子ポールが撮影したとされる
ガラス版写真の原板を一枚プレゼントして頂いた。
非常に貴重だと思われるが、彼はいくつか持ってらっしゃるようで重複の一枚
なのだそうだ。
まさかそんなものを入手できるとは思わず非常に嬉しかったが、誰がどんな資料を
持っているのかわからないものだとつくづく実感した。
そして下心抱かずに行動する方が良いことがあるものだなぁ…と思ったのを記憶
している。
入手の経緯は彼の祖先がアルマス近隣に住んでいて、ポールから直接もらったという
ことだった。伝え聞くところによるとポールは結構気前が良かったそうで、他にも
いろんなものを頂いたらしい。
ファーブル没後、アルマスの屋敷の管理人をしていた頃なのだろうか?
アグラエが1931年に逝去しており、ポールは1967年に現地で逝去している。
アグラエの後を引き継いだとすると1931~67年の間にもらったということになる。
ポールはファーブルを手伝い昆虫などの写真を決定版の昆虫記に掲載している。
当時の写真技術では撮影に時間がかかるので生きたままの昆虫は動いて使えないが、
みんなから絵が必要と言われていた昆虫記にやっと写真が載せられるということで、
ファーブル長年の懸案事項が一つ片付いたわけである。
ガラス版写真には帽子を被ったファーブルが腰かけている様子が写っているが、
スキャンしても見えにくくなってしまい残念だ。
提供した原稿の方は活用してもらい、連名で博物学雑誌の論文となった。
機会があれば邦訳して一部紹介したいと思っている。
彼とは今も交流があり、特に判読の困難なファーブルの原稿など活字に直して
もらったりしている。
非常に難読なものが多く、誰も引き受けてくれる方が見つからず困っていたので
助かっている。しかも無償でやってくれるのだから感謝するばかりだ。
ファーブル邸、居室内の写真原板。90歳代頃か。
1850年代に開発されたコロジオン法か?ガラス版を使用している。
「ファーブル巡礼」津田正夫著に似たカットの写真が掲載されているので、
比較参考にして下さい(新潮選書なら226頁、旧版なら235頁)。
津田氏によると奥の額にはジュールの写真が入っていたという。
ポールの書簡、1930年12月24日 セリニャン、宛先不明。
写真集「Insectes」Delagrave社 1936年の中に同封されていた。
スイスの知人に膜翅目の写真を頼まれたが、わずかしか持っておらず先方が
満足いく写真を提供できなかったといった内容。
ポールの写真と思われる。
父ファーブルの面影は小生には感じられない、母親にも似てない気がする。
裏面にポールのサイン、1939年7月16日 アルマス とあるので49歳の頃。
よく知られている若い頃の写真に比べると、口髭は同じだがかなり恰幅が良い。
年代が異なるが上記掲載の書簡と一緒に入っていたので、同じ人が所有していた
ものと思われる。
裏面宛先は、Charles Poluzzi と読める。
スイス在住のアーティスト(1899~1978年) のようで、昆虫やキノコのイラストも
多く描いてるので、この方が持っていたのなら合点がいく。
ポールと交流があったのは、彼の撮影した写真を参考にしていたからかもしれない。
- 作者: ポール=H.ファーブル,ジャン=H.ファーブル,松原秀一,Paul‐Henri Fabre,Jean‐Henri Fabre,山内了一
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