昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルの家系図ーエミールという名前

系譜学とか系図学(genealogy)という学問があるそうで、これは特定の人の

家系図を作るというものだ。

ファーブルの家系図についてもサイトで調べてみると、かなりの部分が公開され

ていて古い祖先だと17世紀の人までさかのぼれる。しっかりした家系図が公開され

ているとなると、ヨーロッパの方が進んでいるようだ。

 

ファーブルの家系図を見ていてふと感じたのだが、子供たちの名前にやたらと

エミール(Émile)がついていることに気がつく。

このエミールという名はファーブル以前の祖先には見当たらず、したがって

ファーブル夫妻が気に入った名であって、彼らが命名したと考えられる。

夫婦と言っても家長の力が強い時代だから、実際にはファーブルが付けた名前

なのだろう。

 

第2子 ジャン・アントワーヌ・エミール (Jean, Antoine, Émile Fabre)、

第4子 アグラエ・エミリー (Aglaé, Émilie, Fabre)、

第7子 フランソワ=エミール (François-Émile Fabre) である。

アグラエは女性なのでエミリーとなっているが、子供7人中3人にエミールの名が

使われている。

 

なぜこんなにエミールという名に思い入れがあるのかわからない。

ただ単純に流行していた名前だったということかもしれない。

いろいろと考えていたのだが…

小生が思いついた中で可能性が高いと思えたのは、もしかするとルソーの著作

「エミール」に由来するのではないか?ということだった。

これだけ使用するとなるとファーブル先生は命名当時は相当気に入っていた、

もしくは影響を受けた作品ということになる。

注:ジャン=ジャック・ルソーはスイス生まれ、18世紀フランスの思想家。

  社会契約論やエミールなどの著作がある。

 

ルソーの著作がファーブル先生の書棚にあったという話はないのだが、ルソーの

作品の中でファーブルが認めていたものがあり、それは植物学に関するものだった。

(ファーブル伝 講談社文庫 参照)

邦書ではルソー全集第12巻白水社に所収されている。

小生でも彼の音楽(むすんでひらいて)は承知していて多才な人だと思っていたが、

植物にまで造詣が深かったというのは驚かされる。

植物学についての手紙、植物用語辞典のための断片、植物学断片などの文があり、

アヴィニョン時代、ファーブルの講義の中で教会から問題視された植物の雌雄や

受精などの話も説明されている。

特にファーブルは「植物学についての手紙」を気に入っていたようだが、

代表作の一つである「エミール」も当然読んでいたはずである。

 

ルソーの「社会契約論」は難しくて読む気になれなかったが、それに比べるとまだ

「エミール」の方は読みやすく、現代にも通じる教育論が展開されている。

孤児のエミールをルソー自身を投影した家庭教師が親代わりに育て語るという設定

である。教師がくどすぎるような気もするが、赤ちゃん時代から成人以降自立する

までの導き方が具体的に述べられている。

ファーブルが「エミール」を好んで読んだという話は伝わってはいないのだが、

今読んでも納得させられる内容を含んでいて、若き日の教師ファーブルが影響を

受けていたとしても何も不思議はないと思う。

 

「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつる

とすべてが悪くなる」という有名な出だしで始まる。

しかし手を加えなければ、すべてはもっと悪くなるとルソーは言う。

そして子供は "小さい大人" ではないのだから、発達段階に見合った教育が必要で、

早くから知識を詰め込むようなやり方はきっぱり否定している。

  

他人への共感力を育て広げるにはどうすればよいか述べているが、自己犠牲の上に

成り立つ他者の幸せではなく、自他ともに幸せであることが前提となっている。

他者を慮れる人が多く育てば、多数決だけで物事が決まっていく社会にはならない。

人の意見によく耳を傾けみんなが得になる社会が理想なのである。

 

若い熱血教師、教育家のファーブルもルソーの教育論に賛同する部分があって、

自分の子供たちに "エミール" のように成長して欲しいという願いを込めたのかも

しれない。すべては小生の推測に過ぎないが、今のところファーブルがエミール

という名を自分の子供たちに頻用した他の理由を思いつかない。

 

推測で物事を述べるというのはファーブル先生が嫌ったことなので、乏しい根拠を

基に語るのは不本意なのだが、そうしないと何も語れなくなってしまうので、

ファーブルマニアにもかかわらず小生は裏切るようなことをしてしまっている。

しかしこういったことはファーブルに限らずよくあることで、作家が納得が行かず

封印した文章が没後の全集に掲載されることなども同じだろう。

失敗作であってもファンはその思考過程を見たかったり、私的部分まで知りたくなる

というのはやむを得ないことである。

そして乏しい根拠から好きな作家をあれこれ語るというのも、許されても良いので

ないかと小生は思う。なぜなら何も語らないより、その語った中から誰かがまた興味

を持つかもしれないし、新しい知見が見つかる可能性もあると思うからである。

 

……とここまで書いてきたがこの小生の説にはオチがある。

あのファーブル先生がルソーの作品に影響されて子供たちの名前にも使うというのは

どうも心にひっかかるのである。

そこで、この名前の話を先日フランスの知人に話してみたがバッサリと否定された。

理由としては、

ファーブルの作品にルソーの名前が植物分野以外であまり出て来ないこと。

そして、先祖にエミールという名が無くても、遠戚や洗礼を施した司祭など聖職者

の名をもらうこともあるとのことだった。まだまだカトリックが全てに影響している

時代ということか。

命名の決め方はいろいろあるようで、簡単にとやかく論じられないようだ。

第2子の生まれたカルパントラと第4子・第7子の生まれたアヴィニョンは近い距離

なので同じ所で洗礼を受けた可能性は否定できない。

また第2子から第7子までの期間は13年あるが、同じ司祭が居ても可能な期間だ。

エミール司教(又は司祭、助祭)か……本当かなぁ?

どうも悔しいので、アヴィニョンの資料や命名の決め方などもう少し調べてみよう

と思っている。

 

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ジャン=ジャック・ルソーの肖像、19世紀。

肖像はいくつかあるが、最も気に入っているカットなので掲載した。

 

エミール〈上〉 (岩波文庫)

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NHK「100分de名著」ブックス ルソー エミール―自分のために生き、みんなのために生きる

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エミール ─まんがで読破─

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