引き続き書簡を紹介する。
(ファーブルからボルドーヌへの書簡、ニ通目)
1913年9月18日、セリニャン
親愛なる友へ、
親切に送っていただいた美味しい葡萄の箱を無事に受け取りました。心からお礼を申
し上げます。あなたは私と再会することをとても楽しみにしているとおっしゃいます
が、それはお互い様でしょう、最後にお会いしてからずいぶん経ちましたから。
セリニャン村長が胸像を建てることを提案しているようですが、今、彫刻家のシャル
パンティエ氏が家にいて、アヴィニョンの師範学校に設置する記念碑のために私の像
を作っています。私の考えでは、それは多くのサンティベリに過ぎません!
彼らの好きなようにさせればいい、私は壊れ、終わったと感じています。
さらば我が親愛なる友よ、あなたの訪問はいつでも私に喜びを与えることでしょう。
あなたの旧友より
J.-H. ファーブル
注)書簡裏面を掲載、シスター・アドリエンヌが代筆、サインのみ直筆。
彫刻家シャルパンティエのファーブル像制作風景は「ファーブル巡礼」津田正夫著、
新潮選書、2007年刊の272頁に写真が載っている。
サンティベリ:Santibellis 素焼きの小さな人形、南仏ではサントン。
別れの言葉は Adieu と書いており、長期間又は永久に会えない際に使うようだ。
(ファーブルからボルドーヌへの書簡、三通目、カード)
ボルドーヌさん、
息子様が撮影された写真をお送りするまでの間、旦那様のサイン入りカードをお送り
します。焦らずお待ち下さい。
よろしくお願いします。
看護修道女、シスター・アドリエンヌ。
注)カード裏面にアドリエンヌが記載。表の写真は研究室で机に向かうファーブルを
写したもので、上方にファーブルの筆跡で以下の言葉が書かれていた。
(サイン部分のみ掲載)
私の熱烈なる友、ボルドーヌへ、J.-H. ファーブル
(ファーブルからボルドーヌへの書簡、四通目)
1915年1月18日、セリニャン
親愛なる友へ、
丁寧な手紙をありがとう。不幸な病気のために私に会いに来られないのは残念です。
それは私にとって大きな喜びでした。
私はこの残酷な戦争が、あなたやあなたのご家族に与えている大きな悲しみを、十分
承知しています。今のところ、私の家族はドイツ軍の銃弾に倒れたものはいません、
最初に負傷した甥も今は元気です。
さらば親愛なる友よ、もしすぐに良き日が訪れ、あなたの健康状態がアルマスに来る
ことを許してくれたなら、私を喜ばせてくれることでしょう。
あなたの古い友人、
J.-H. ファーブル
注)書簡裏面のみ掲載、右上サインのみ直筆。右下頁は欠。
第一次世界大戦:フランスは連合国側、1918年まで大戦は続くので、ファーブルは
終戦を見ないまま、この年の10月に逝去した。別れの言葉はここも Adieu が使われ、
南仏では頻用されたようだ。
前ブログから、ファーブルのボルドーヌ医師への書簡を掲載した。ファーブルが自身
の衰えを嘆く言葉が目立ち、晩年はやや鬱傾向にあるのではないかと疑わせる。
大好きな観察研究が出来なくなり、歩くこともままならないのでは生きる楽しみを奪
われたも同然だったのだろう。その中でもアヴィニョン時代の教え子のボルドーヌ
からの贈り物や書簡は、当時のことを思い出すことができて、ひと時の安らぎを感じ
られた時間だったに違いない。
ボルドーヌ医師の没年についてはよくわからないが、1934年8月に引退となっている
ので、少なくとも86歳以上の長命だったことになる。