昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブルからボルドーヌへの書簡

ルグロ博士のファーブル伝を読むと、コルシカ島から帰還後のアヴィニョン時代に

ファーブルが特に親しくした生徒として三人の名前が出てくる。もちろんファーブル

先生は多くの生徒と関わったはずだが、一緒に昆虫観察などに出かけた間柄として

特に交流が深かったのがこの三人だったということだ。

小生のような変わったファーブルマニアは、伝記に出てくる名前も非常に気になるの

で、以前から彼らの名は頭の中に残っていた。しかし、ルグロ博士の伝記には彼らの

職業が簡単に記載している程度で、いったいどんな人たちだったのか、それ以上の事

は何も分からない。彼らが何か書籍でも出版していれば足取りも掴めるのだが…、

小生は彼らの事を気にはしていたが、何かできるわけでもなく資料は探しつつも、

ずっとそのままになっていた。

その三人の内のドヴィヤリオとヴェシエールについては前ブログまでで、分かって

いる部分について述べた。最後の三人目としてボルドーヌ(Bordone)博士を取り上

げたいと思う。彼はフロンティニャン(Frontignan)というところで医師をしていた

ということ以外に情報がなかったのだが、数年前にフランスで彼に関連する資料が

売りに出て、それを知人に教えてもらい何とか入手できたので紹介しておきたい。

なぜ彼の資料が出たのか分からないが、やはり子孫の方が手放したのだろうと思う。

これが全くの一般人なら値が付くこともないが、ボルドーヌ医師がかつてファーブル

の教え子であり、父親が有名な軍人だったということになれば話は違ってくる。

 

ボルドーヌ父は本名と別にボルドーヌ将軍と呼ばれている。1821年アヴィニョン

生まれ1892年パリで逝去されている。クリミア戦争に外科医としてセバストポリ

戦いに従軍しているので、ファーブルのコルシカ時代の生徒、協力者で、クリミアの

戦争で亡くなったレヌッチ君とどこかで遭遇していたかもしれない。

ボルドーヌ父は海軍に所属したが機械工学にも明るく、1860年に工兵隊長として

イタリア統一に貢献したガリバルディに仕え、1870年には彼が率いたヴォージュ軍の

参謀長を務めている。この息子がファーブルのアヴィニョン時代の生徒で、晩年まで

交流の続いたボルドーヌ医師で、正式には Hippolyte Jiovani Joseph Bordone(1847~?)

イポリット・ジョヴァンニ・ジョゼフ・ボルドーヌである。

 

祖父はイタリアの生まれで、やはり軍人だったがフランスに帰化している。スペイン

戦争で負傷しアヴィニョンで入院治療をしており、このあたりがアヴィニョンとの

つながりになるようだ。そしてボルドーヌ父がアヴィニヨンで生まれ、その息子は

ファーブルの元で学ぶことになったということになる。ボルドーヌ父がガリバルディ

に協力したのは、元々イタリアの血が流れていたからなのか、同じ共和主義者として

その思想に共鳴したからなのかは分からない。ボルドーヌ父がガリバルディのことを

書いた大部の書籍があるのだが、これを読めばどこかに記載があるのかもしれない。

 

ファーブルの晩年にボルドーヌ医師へ送った書簡が、資料に含まれていたので紹介

しておく。ボルドーヌからの書簡は残っていないので意味が通じにくいが、およその

内容は想像できると思う。

(ファーブルからボルドーヌへの書簡、一通目)

親愛なるボルドーヌ、

すばらしいひと時!普段は物忘れの激しい元生徒たちが、恩師の記憶を残してくれて

いるのは心強いことです。私の方でも、何人かの生徒が私の心の中に消し去ることの

できない痕跡を残しています。あなたもその一人です。

スカラベが現れたかどうかを確かめるために、アングルの丘に行った時のあなたの

熱意は今でも忘れられません。フラフラしていたメンバーが転倒してコレクション

ボトルを割って怪我をしたときには、あなたが私たちの外科医でした。

そんな幸せな時間があっという間に過ぎ去ってから、長い歳月と仕事の苦労がかって

の仲間を蝕んでいるのです。私はもうほとんど目が見えないし、少なくとも読み書き

は不可能です。私の脚は私に奉仕することを拒否しています。庭で数歩歩くのが精一

杯です。しかし、私の不幸は放っておいて、木曜と日曜に一緒に過ごした楽しい午後

のことだけを話しましょう。

ご親切に送っていただいたフロンティニャンに感謝しています。私の家族と親しい

友人たちは、それにふさわしい評価をして楽しみましたが、この芳醇なコーディアル

をいつでも手にすることができるよう、地味な節約をしました。

散文は、私の貧しく疲れた脳を少し曇らせているので、私はあなたに心のこもった

握手をして終わります。私の昆虫学上の最新の仕事であり、また最後となることを

危惧している「ツチボタル」のコピーをあなたにお送りします。

あなたの献身的な旧友より

J. -H. ファーブル

セリニャン(ヴォークルーズ県)、1910年4月13日

注)

フロンティニャン:アヴィニョンの南西方向に直線で80㎞ほど離れていて、地中海に

面しモンペリエに非常に近い。以前はワインの生産が盛んで、マスカットを使用して

いたフロンティニャンワインが有名だった。

木曜と日曜:以前は木・日が学校の休みだった。

コーディアル:フルーツなど漬けた甘い飲料を指す、フロンティニャンはマスカット

味でかなり甘い白ワインだったようだ。

ツチボタル:完訳ファーブル昆虫記第10巻下参照。

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写真は書簡の裏面、看護修道女シスター・アドリエンヌ代筆で右下にファーブル

(86歳)の弱々しいサインがある。