昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ロマン・ロランの書簡ーファーブル伝

今年初めに入手できたファーブルの原稿があるが、いまだに届かない。輸出許可が下

りるのに時間がかかるので、根気よく待っていたがさっぱり連絡もない。

さすがにこちらから連絡してみたが、運送業者は別なので配送はそちらで手続きする

ようにというメールが来た。おいおい連絡くらいしてくれよ…。

数年前ならよく取引していた書店主がいて、輸出許可が下りたら、さっさと日本に送

ってくれたのだが、今はそうもいかなくなった。跡継ぎの二代目がまったく使えない

からだ。多くの顧客を失うだろうから、三代どころか二代で店をつぶしそうな勢いで

ある。

原稿は何とか指定業者に連絡して、送ってくれることになったのは良いのだが、この

業者がまたやたらと高額の送料をふっかけてきて、しかも仕事が遅いのだ。

送るときにまた決済の連絡をすると言われたが、既に一ヶ月以上経過して音沙汰なし

である。実際に海外の相手と仕事で取引している日本人は、きっと苦労しているんだ

ろうなと、小生のようなレベルでも体感させられているのが現状である。

利権だけ握っている業者がいて、プライドは持っているが仕事はのろい。

しかし、こちらはなるたけ、彼らのやり方に根気よく付き合わなければならないので

ある。一生懸命、身を粉にし働き身体を壊す日本人は多いだろうが、いったいマイ

ペースなフランス人を見習うべきなのだろうか…。小生は真面目な日本人を誇りに思

いたい。客を待たせても決してスピードアップしないし無理もしない、自分のやれる

ペースで作業を進めるだけだから、彼らの方がストレスは溜まりにくいことだろう。

小生は仏国以外の取引は少ないが、ドイツはとてもスピーディーである。イギリスも

意外とてきぱき送ってくれる。フランスを相手にするとストレスが溜まるのは、小生

だけなのだろうか?

フランスの知人で、時々生原稿の読み取れない部分を読んでもらっている方がいるが

その方は非常に仕事が速いし気も短い。フランス人でも自国のペースが合わないと思

っている人はきっといることだろう。

詳細は伏せるが、以前、ファーブルの関係で、フランスの公的機関に問い合わせを

したことがあるが、全く相手にされなかったことがある。ところがフランスの知人

経由で同じ質問をしてもらったが、あっという間に返事が返ってきた。同じ国なら

同僚というわけだ。小生は呆れてしまったが、以降、どうしても必要な用件がある

場合は、なりふり構わず、人の手を借りてでも連絡がつくようにくい下がるように

している。また、英語が話せる相手であっても、可能な限り仏語で連絡を取った方が

反応が良いことが多いので気を付けている。

 

さて、以前も言ったようなくだらない愚痴を長々とまた述べたが、もうやめよう。

ノーベル賞作家ロマン・ロランの名前は聞いたことがあるかもしれないが、作品名が

すらすら出てくる人は、今は少ないかもしれない。

ジャン・クリストフ」「魅せられたる魂」が特に有名だが、ベートーベン、ミケラ

ンジェロ、ガンジーなどの伝記も書いている。ファーブルと直接面識があったのかは

わからないが、ファーブルの信奉者であり、1910年の昆虫記を記念した祝賀会に彼は

名を連ねている。共和主義者で、非カトリックという点も共鳴できる部分があったの

かもしれない。晩年のファーブルの胸像を造ったシカールへ、ロランが宛てた書簡が

あるので掲載しておく。いつ入手したか忘れたが、所蔵していた方からマイナーな

サイト経由で譲って頂いたことを記憶している。

パサージュ・ドワジー7番、パリ、F. シカール氏宛て

親愛なるシカールさん、

私はルグロ先生とは長い間やり取りをしてきました。

しかし、不運が重なり、いつも会うことができません。

またしてもパリを数ヶ月留守にすることになり、「アンリ・ファーブルの生涯」を

読めなかったのが心残りです。

ご友人に私の気持ちをぜひお伝えください、そして私を信じて下さい、

親愛なるシカールさん。

心からの献身をこめて

1912年5月27日

グランドホテル・ベルビュー、バヴェーノ、イタリア、

ロマン・ロラン

 

注:宛先の彫刻家シカールの住所は、パサージュとあるのでアーケイド付きの商店街

かと思ったが、ドワジー凱旋門から北西に400mの所にある小さな通りで、今は白い

壁の綺麗なアパルトマンが並んでいる。

シカール(1862~1934)は、晩年のファーブルの彫刻を造った人だが、その場にルグロ

博士は同席しており交流は持っていたと思われる。ロランとシカールの関係性は分か

らないが、書簡の内容から以前より知り合いであったことがうかがえる。

差出人のロランが居たと思われるイタリア北部バヴェーノにあったベルヴューという

文字通り眺めの良い大きなホテルは今は名前が変わっているようだ。

 

ロランの書体は非常に癖が強く一度見たことがあれば忘れることはない。書簡の内容

は経緯がよく分からないが、シカールからの書簡への返信であるのは確かである。

あくまでも小生の推測だが、1913年にルグロ博士はファーブル伝を出版しているので

この書簡の日付はその前年ということになる。ファーブルの伝記を書くにあたって

ルグロ博士はその原稿をロランに見てもらうつもりで、草稿などを送ったのではない

だろうか。何度か連絡はしたと思うが返信がないので、出版が迫っていることもあり

自分よりもロランに近しい?シカールに連絡を取ってもらったのかもしれない。

そもそも伝記も得意なロランが、ファーブル伝を書く予定だったのなら、そういう

逸話が残っているはずなので、そうではなく、あくまでも有名な作家でファーブルを

好んでいたロランに、医師が本業の博士がロランの助言か感想(または出版時に推薦

して欲しかったのかもしれないが)を乞いたかったのでないかと思う。

まだ読めていないことの言い訳をロランはしているのだが、無理もない話である。

ロランのバイオグラフィーを読んでみると、後にノーベル賞をとることになる「ジャ

ン・クリストフ」という大作の第九巻を1911年に、最終巻部分を1912年に刊行して

おり、特に滞在先のバヴェーノでは最終巻第一稿を書き終えていて、とてもルグロ

博士のファーブル伝を読む余裕など無かったと想像されるからである。