昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ファーブル伝 譯者序ー椎名其二

椎名其二は昆虫記第一巻のみで中断してしまった大杉栄の昆虫記訳を引き受けたわけ

だが、そのほかにルグロ博士のファーブル伝も翻訳されている。昆虫記と同じ出版社

の叢文閣から大正14年に刊行。科学の詩人(ファブルの生涯)という表題である。

この本には訳者椎名により、譯者序という題の文が寄せられている。この序文まで

読んでいる人はほとんどいないと思われるが、その内容は椎名の想いが込められて

いるので、以下に後半部分を引用紹介しておきたい。

ファーブル伝はこれまでもいくつかの訳書があり、訳者のあとがきが付いていること

があるが、椎名の序文は他のものと一線を画し個性あるものになっている。

 

(科学の詩人 ファブルの生涯 大正14年 叢文閣出版 譯者序文より一部引用)

事実ファブルは、百姓の子として生まれ、…略…、常に「変則者」として斥けられた

のであった。ああ!「変則者」か。あの山の麓、あの流れのほとり、あの野の中に、

どれほどの変則者がいることか。都会のドン底にさへも、どれほどの変則者が呻い

ていることか。どれだけの天才が貧と望みとの中に悩ましい生活をしていることか!

ジャン・アンリ・ファブルは、実に平民の典型である、魂である。その充実した、

多産な、緊張した九十有余年の高貴な生活ーそこには多くの学ぶべきものがある。

それは同時に感激と慰安との盡きざる泉である。私は此の譯書「科学の詩人」を、

特に田舎の彼方此方に散らばって。静かに考え、静かに研究し、そして毎日の新聞

にも書き立てることなしに、静かな尊い生活をしている人々に捧げる。(以上)

 

変則者とは変わり者ということだろうか?変わり者とは、性格や行動が一般人とは

異なっている人のことをいうとするなら、ファーブルは一般のフランス人に比べて

その行動は変わっていたと言われることは納得できる。昆虫の数においても人との

距離においても決して近しいと言えないフランスで、虫の観察のためとはいえ何時間

も地面に這いつくばっているというのは、他者から見れば奇人、変人と言われても

仕方ない。しかし、椎名はそういった恵まれない変則者は目立たないだけで、どこに

でもいるのだと言う。その生涯を研究に捧げたファーブルの姿勢に対して、椎名は

敬愛の念を持っていることがうかがえる。と同時に本来、椎名自身のあるべき姿も

そこに見ていたような気が小生はしているのだがどうだろうか。