昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

科学 vs 宗教の渦

先日、「科学と宗教との闘争」岩波新書 昭和14年 ホワイト著 を読んでいたら、

フランスの教会と教育制度の闘いについて書かれていて目に留まった。

小生も以前ブログで触れたが、オルレアンの有名な司教デュパンルーが文部大臣の

デュリュイを攻撃したことが述べられていた。

(ブログ:デュリュイ対デュパンルー 参照)

デュリュイはフランスの教育制度の改革を推進しようとした人物で、1865年頃アカネ

染色工業化に取り組んでいたファーブルと出会い非常に気に入り、勲章を与えて

ナポレオン三世に謁見させている。もちろんファーブルはそんな堅苦しいことは嫌い

で、都会は好きになれず研究も早く再開したいから、パリからさっさと南仏へ戻って

いる。

 

ファーブルはアヴィニョンで無料で行っていた婦女子を含む市民への授業で、人気を

博していたのだが、植物の受精の話をしたというだけでカトリック教会から批判を受

け、信者の大家から住居を追われ職も失うという迫害を受けた。

小生はこの事件がファーブルをカトリックから決定的に離したのだと思っている。

それまでファーブルは熱心な信者ではなかったが、教会とは友好的な関係にあった。

自身の学位論文別冊を司教に献呈していたことが分かっているし、最初に刊行した

教科書の中で教会にかなり配慮した文章を掲載している。

(ブログ : ファーブルの最初の教科書 (続) 参照)

 

ファーブルを攻撃した司教の所属は知られているがオルレアン所属ではないので、

デュパンルーが直接ファーブル排斥に関係した証拠はないのだが、彼は教育改革反対

の急先鋒だったわけだから、間接的にはファーブル迫害に影響を与えたことになる。

デュパンルー司教は、学校教育というものはカトリック教会主導で行われるべきもの

と考えていた。もちろん政権中枢にいる文部大臣のデュリュイをターゲットにしてい

たのだが、さすがに他国であってもダーウィンの著書「種の起原」については、

インパクトがあったのか、ダーウィンを ”恥ずべき学説の創始者” と決めつけ批判して

いる。

 

宗教を公的な教育の場に持ち込まないというのは、一般的な共通認識になっている

と思うが、熱心な宗教者から見れば自身が信仰する宗教こそが真実であるのだから

これを広めるのは責務であり、当然学校教育に関わることは譲れないところだろう。

科学と宗教の対立は信者と非信者の対立でもあるが、信者の方の中にもさまざまな

考えがあるようで、つまり妥協を許さないような強硬な方々と、一方で科学的な事実

も認めながら信仰も続けていく穏やかな考えの人たちがいるのである。

19世紀のフランスカトリック教会は守旧的な考えが主流であったので、宗教の影響を

受けない教育を進める人達と闘争が起きるのは当然の成り行きだが、その大きな渦の

流れの中にわれらがファーブル先生も巻き込まれたということになる。

小生はファーブルやデュリュイ対カトリックという近視眼的な状況のみで見ていたが

大きな視点で見ると科学対宗教の闘争の中のごく一部ということになる。

 

ダーウィンなどもその著書「種の起原」により、デュパンルー司教に限らず教会側

から目の敵にされてもおかしくない人である。ずいぶん用心して著書を発表したが、

実際にダーウィンが提示した自然淘汰に関連して現代まで論争が続いている。

例えば、アメリカで1925年に ”モンキー裁判” と言われる事件が起きている。生物学を

教えていたスコープスという教師が授業で進化論について言及したことが問題になっ

たのである。生物学の授業ならダーウィンの説に触れるのは当然かと思うが、聖書を

事実として強く信仰する人たちにとってはとんでもないということになる。

一介の教師が攻められているという構図で、ファーブルとも状況が重なるが、こちら

は両者有名な弁護人が付いて大々的な裁判になりマスコミも賑わせることになる。

しかし、実際はこの裁判はどうも仕組まれたものだった疑いもあるようだ。

つまり、教師側にバックが付いていて裁判になるように仕向けられたということだ。

こんな罪のないただの教師一人をいじめているというところを皆に見せて相手を貶め

ようとしたのかもしれないが、主に裁判の起こされた州の法律「反進化論州法」の

違憲性を証明しようという目的があったようだ。ややこしい話になるが、公立学校で

進化論を教えるのか、それとも聖書に記載されている創世記を教えていくのかという

のは、日本では全くピンと来ないのだが、クリスチャンの多い国では大問題なのだ。

結局、このような科学と宗教の闘争は、人間がいて信仰がある以上ずっと続いて行く

のかもしれない。(進化論を拒む人々 勁草書房 1998年 参照)

 

ダーウィンが若き日にビーグル号という船に乗って世界を回り、ガラパゴス諸島等で

島固有の生物を見たお陰で、いわゆる進化論のヒントを得ることになるのだが、その

ビーグル号の艦長がフィッツロイという方である。貴族出身の彼が長い航海を続ける

うえで選んだ博物学者が、若きダーウィンだった。ストレスの溜まる船の中で、艦長

の食事の際の話し相手を選ぶというのは大事なことだった。各地域の測量や資料の

採集を行うが、フィッツロイ船長はキリスト教を信仰していたので、聖書に書かれて

いることで実際に各地に残されている痕跡を探してもいたようだ。大洪水への関心

以外に、ノアの方舟バベルの塔の手がかりでも探したのだろうか?

旧約聖書の創世記によると神は6日間で万物を造りあげたという。全ての生物は神が

創造したもので進化することなどあり得ないはずが、同じ船にいた者が神を信じては

おらず、後に「種の起原」を著わすことになるとは、フィッツロイ艦長にとっては

思いもよらない事だっただろう。

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文部大臣デュリュイ(1811~94)、写真はファーブルと出会った1865年頃。

1869年に大臣を失脚したが人間的に優れた方だったようだ。

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左:「A CIVIC BIOLOGY 市民の生物学」1914年 ハンター著からダーウィン紹介部分。

教師スコープスが授業で使用したと証言した教科書。他頁では自然淘汰の記述あり。

ジェンナーやパスツールの紹介は1頁半程度なのだが、ダーウィンには3頁近く使って

紹介している。

右:スコープス裁判の様子(科学画報 大正14年10月号より)、図右下説明に人猿裁判

とある。右上の猿を連れた女性は裁判を揶揄した行動と思われる。

州の反進化論法を攻めきれずスコープス側は罰金を支払い、この裁判後、上記教科書

は改訂され進化論部分はみな削除、その後35年間、進化論の記載は復活しなかった。

(進化論を拒む人々 勁草書房 1998年 鵜浦裕著 に詳しいのでご参照下さい)

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ビーグル号船長フィッツロイ(1805~65)。写真は1865年頃、同年4月59歳で逝去。

5年の航海(1831~36)の後はダーウィンとの交流はほとんどなかった。

ダーウィンの「種の起原」出版はショックだったようだ。

晩年は鬱気味で自死している。

 

科学と宗教との闘争 (1968年) (岩波新書)

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  • 発売日: 1968/06/25
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完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下

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進化論を拒む人々―現代カリフォルニアの創造論運動

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