昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ゴルトンと優生思想

進化論について考えさせられることが多くなっていたので、久しぶりにグールド博士

の本を何か読みたいと思い、"フラミンゴの微笑" という本を読んでいたのだが、

中にダーウィンの ”人間の由来” 1870年刊行のことが書かれていて目に留まった。

やはり博士の書いたものは面白く参考になるが、本が1989年刊になっていて驚いた。

もうそんなに経っていたとは思いもしなかったが、早川書房から邦訳出版されていた

博士のエッセイシリーズは、ドーキンスの本と共にみな読破しなくてはいけないと

改めて感じた。もし博士が今もご存命だったなら、このパンデミックの状況をどう捉

えたのだろうかと思う。

 

ダーウィンの著作「人間の由来」は、自然淘汰の理論でどうしても都合の悪いような

ケース、例えば角が大きすぎるシカや派手な模様を持つクジャクなどを説明するため

の性淘汰という考え方について言及している。実際にダーウィンはシャモの羽毛を

刈ったりハトに紅い塗料を塗って、何が選ばれる要素になっているのか調べている。

雌はより健康で力のある雄を選択しているのだろうが諸説あるようだ。

さらに、人間の肌の色がなぜ違うのかなど人種差がどこから来たのかについても書か

れていて、これはよく言われる気候の差というより性選択によると述べている。

つまりわがアジア人の先祖は日光の程度で黄色に変化したということでなく、黄色系

の相手を好んで選んできた結果ということになる。

 

この「人間の由来」という作品には、”種の起原” 同様にほとんど知られていないと

思うが、やはりファーブルの名前が出てくるというのをご存知だろうか。

第Ⅱ部 性淘汰 第10章 昆虫における第二次性徴の膜翅目部分である。ここでも無比な

観察家とファーブルは称され、Cerceris の雄が雌の所有をめぐって闘う場合、雌は闘

いには興味が無いようにじっとしており、勝者が決まるとその雄と静かに飛び去る、

という例を引用している(人間の由来 講談社学術文庫 上 2016年参照)。

よほどダーウィンはファーブルの研究が気になっていたのかと思うが、それだけ研究

が内容のあるもので目に付いたということなのだろう。

(この部分は昆虫記では第1巻4章 コブツチスガリ 部分に出てくる)

 

さて、この「人間の由来」を読むと、やはりしばしば登場するのがダーウィンの従弟

ゴルトンの名前である。以前のブログでゴルトンの著作「天才と遺伝」について触れ

たが、ゴルトンと言えばユージェニクス(邦訳:優生学)の提唱者としても知られて

いる。ダーウィンの著作に刺激を受けたゴルトンは自然界で起こる自然淘汰が人間に

も同様に当て嵌めることができると感じ、優れたものを多く残せばより良い種となっ

ていくと信じた。そこで1883年にユージェニクスという概念を提唱するようになる。

ダーウィンの理論が人間にも適用できるなら、ヒトは今後も進化して行けるはずだと

考えるのは普通である。優秀な家系の者の遺伝子が多く後世に伝えられ、そうでない

者が子孫を増やさないような仕組みを作れば、変えていけるだろうと当時考えられて

も不思議はない。ゴルトンは「天才と遺伝」の諸言の部分で以下引用の様に述べ、

”人類の将来の世代の自然的素質の改良は、間接にしろ多大にわれわれの統制下にある

ものであることを、強調して置きたい。われわれは自然的素質を創造することは出来

ないが、導いてゆくことは出来る” (岩波文庫版上巻 甘粕石介譯 参照)

そして将来、合理的政策が哀れなほど低い人類の水準を高め、人道主義者が夢想する

ユートピアが可能性を持ってくることを見越し、研究が進んでいくことを望んでいる

といった内容のことを書いている。

 

優生思想の背景には ”逆淘汰” という考え方があったようだ。例えば戦争に行くのは

健康な若者が多い、そして職業ランクや社会的地位が高いほど少子化が進むという

統計もあり、弱者の子孫が増えて行くということを心配したのである。さらに病者、

高齢者などは社会の仕組みにより保護され、自然界のように無慈悲に淘汰されること

はない。社会のシステムによって、このようにいわゆる弱者が保護される現代では、

ヒトという生物は進化とは逆の方向、弱体化へ進むことになる。

そこで、国同士が競う時代では、この "逆淘汰" とは反対の少しでも能力ある人間を

増やすことが求められ、優生思想という考え方が、善し悪しは別にして発展すること

になった。ダーウィンの「人間の由来」にも、逆淘汰についてしっかり触れられて

いる。(人間の由来 第Ⅰ部第5章など)

 

しかし、この優秀な遺伝子というのが難しい。見る側によって判断は異なることが

予想されるからである。人間でなく、例えば昆虫などで考えれば簡単かもしれない。

とにかくその種にとって最も優秀な遺伝子は、繁殖能力に優れ子孫を多く残せる個体

が優秀ということになる。餌を捕獲しきちんと子供を育てられればいいのである。

ところが人間さまになるとこれは途端に難しくなる。脳が非常に発達してしまった

せいで、感情や思考が複雑になり、知能が発達し独自の宗教、道徳概念まで持ってい

る。したがって、子孫を多く残せる=優秀とは必ずしも言えなくなる。

 

容姿端麗、頭も良い、身体能力も高いなどとなれば優秀かと言えば、必ずしもそう

とも言えない。性格や他者との協調性が問われるし、また容姿も頭の回転もさほど

ではないが、周囲の人々を癒してくれるような人もいる。単に職業や年収で決めら

れるものでもない。一見素晴らしいと思わせる人でも心の中まで他者が見通せる

ものでもない。全てが揃った人など居るはずもないのである。

そうなると優秀な遺伝子を残すと言っても不可能ではないかということがわかって

くる。ゴルトン博士は社会的地位が高い、名士のような人を念頭に置いていたよう

だが必ずしも賛成できない。

 

小生は遺伝子にパーフェクトは無いと思っている。身近な例を挙げると、非常に有能

で性格、社会性など何も問題がなく、スポーツマンで風邪やインフルにも罹ったこと

がないような強靭な体力を持っていた知人がいたが、悪性の病気であっけなく旅立っ

てしまった。ちなみに小生はよく風邪は引き気管支も弱いという弱点を持つ家系なの

だが、親類縁者には知る限り、癌患者と糖尿病のものは一人もいないという長所も

ある。何かに優れていれば弱点も必ず持っていて長所ばかり、欠点ばかりなどという

遺伝子はない。そしてその長所短所は周囲の環境で変化していく。だから多様な人々

が様々な遺伝子を持ち、人為的な操作を受けずに混然と存在しているのが健全な在り

方であって、それが最もいろんな環境変化に耐えられる状態であると考えている。

人が人を選択してどうにかできることもないし、また有能な遺伝子を一見選択して

いると思っていても、それは大きな勘違いだったとなりうる。

 

ヒトは虚弱である、頭が肥大し道具も作るようになって身体能力は著しく低下した。

道具や武器も使わず体一つで勝負するとなれば、勝てる生物は多くないだろう。

しかしその弱さのおかげなのか、知能が優れているために地球上で繁殖しトップに

君臨している状態だ。地球から見れば人間は有害生物である。これだけ増えて荒らし

まくっているのだから最恐だ。なまじ頭が良くなったために、地球の存在すら危うく

してしまうものを造りだし資源も漁り環境を破壊している。地球規模で見ればそんな

人が増えるより、ジャングルの奥で原始的生活をしている人々の方が地球には優しい

はずだ。強力な兵器も天才と言われた方々が造ったものもあるだろう。それならば頭

が良いとか優秀とか、もし本当にそんな人達が増えて行けばどうなるのか。小生は決

して人類が幸福になるとも思えない。

そんなことを考えていると優生学というものが、人間の身勝手な話でしかないように

見えてしまう。不良遺伝子扱いされ断種政策の対象とされた人や戦時中起きた人種の

隔離政策など、人為的に操作しようとすれば倫理的に間違うリスクも生じる。

ヒトは自然界に属してはいるが、他の種とは大きく異なっている。人間が人間を選択

することなどできないから、人でいられるのである。もしそれでわれわれが衰退して

いく運命であるなら、それでも良いと小生は思っている。

 

ゴルトンは優生学と言っても、優秀な家系の者を増やすことを主に考えていた。

不適とされた者の結婚や子孫が増えることを阻止するという方向の考え方を推進して

いたわけではない。しかし、この優生思想はゴルトンの思いとは別に、違った方向へ

どんどん進んでいくことになる。

100年近く前の日本の出版物をみると、優生学に真剣に取り組もうとする姿勢が見ら

れるものはあるが、やはり断種政策の対象にされた人々の目線には立っていない。

今更、古い雑誌や書籍など読む意味があるのかと思っていたが、優生思想の盛衰の

歴史には興味深い点も多いので、今後も目を通していく必要があると感じている。

 

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個人用の生活史アルバム 1902年刊 第2版:ゴルトンは人間の変化、進化が気付かない

程度で進むのを明らかにしたいためか、進化に関わる要因を探るためか、人体の測定

にこだわっていた。個人用の生活史アルバムもその一環かもしれない。

各項目は空欄で書き込めるようになっている。身体計測の数値、写真を貼付する頁、

治療歴、視力、聴力、歯の状態、芸術の才能、知的能力の欄などあり人生の包括的

データを参考にしたかったようだ。

 

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ゴルトン晩年、84歳時の書簡、1906年5月8日、Edith Ward 宛て。

価値ある写真を送ってもらったことについて、当面の目的のためには十分なコレクシ

ョンになったという感謝を伝えている。科学雑誌ネイチャーの読者にも感謝の意を表

しているので、この書簡は同雑誌に1906年4月に掲載された "肖像写真募集" に関する

件のようだ。ゴルトンは以前から肖像の分析に興味を持っていた。

 

  

人間の由来(上) (講談社学術文庫)

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完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上

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危険な人間の系譜-選別と排除の思想

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  • 作者:中谷 陽二
  • 発売日: 2020/08/05
  • メディア: 単行本