昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

ダーウィンの家族

前回ブログでコメントを頂戴した、有難いことである。

スペンサーの名前が気になったが知らないことばかりなので、社会進化論などこの際

関連の著作を読んでみたいと思った。

ちょうど昨日届いた "kotoba" 集英社季刊誌に池田清彦先生の連載「現代の優生思想」

が掲載されており目に付いた。冒頭にスペンサーの肖像も掲載されている。

スペンサーについて十分に知らないので何も小生は言及できないのだが、彼の意見の

中にそのような主張があったのか、それとも利用されただけなのだろうか?

ハーバート・スペンサーコレクション」筑摩書房刊の書籍紹介文を読むと、

スペンサーに対する違った見方もあるようで興味深い。

小生は仕事上、ハンディキャップのある方々と接することが多い。

最初の頃は戸惑いもあったが、接して学ぶことは多々あって、小生なりに思っている

ことはあるので機会があれば書きたいと思っている。

勝手に線引きするような社会が、万が一成立することがあるとしたなら、それは人間

社会の終わりであって、我々が人でなくなることを意味すると思っている。

 

表題に戻る。

ダーウィンはファーブルについて何か書くには避けて通れない人だが、ダーウィン

業績は多くて読むのも億劫なのでずっと避けてきた。

コレクター的に言うと、書簡一通でゼロが6個位つくので手が出ないし、原稿などは

オークションで見た記憶もない。まあ、出たとしてももちろん破格の金額になるのは

間違いなく、こちらとしては面白くないのである。

資料の一般公開はネットで進んでいるのでその点は非常に助かるし、書簡も残されて

いるものは全て把握されていて現在も順次刊行が進行中である。

手紙魔だったようなのでファーブルとの書簡ももっとあったのではないかと思うが、

晩年のものしか発見されていないのは非常に残念だ。

日本で刊行されたダーウィン関連書籍は山ほどあるが、いわゆる全集と言えるような

全業績を網羅したものは乏しく古書でも入手しにくい。1999年から刊行されていた

著作集も続巻が出ていないようだ。ダーウィンの代表作は有名だが、それ以外の作品

は人気がないのだろうか。

 

最近、「ダーウィンと家族の絆」白日社 2003年刊を読んだ。

厚い本でずっと読めずにいたが、玄孫の方が書いていて内容も非常に参考になった。

ダーウィンはファーブルと違って裕福で家柄も良く、優しい人だった。

あの陶器で有名なウェッジウッド家の娘でダーウィンの妻になったエマから見ると、

出会った中で最も素直で隠し事のできない人だと言って結婚している。

ダーウィン種の起原を発表した場合の世の中の反発を相当に心配していて、最愛の

娘アニー(本名アン: 1841~51)を亡くすというストレスも重なり、体調不良には終始

悩まされていた。

愛する妻は信仰心に篤いがダーウィンはどうしても神を信じることはできず、

なぜ神が造った世界なら苦痛というものがこの世に存在するのか?

食う食われるの世界でこの世が成立しているということに悩んだ。

そして特にアニーを喪ってから、何の罪もない娘がなぜ亡くならなければならない

のか?という疑問を感じ、結局神の御慈悲というものはないのだ、ということを確信

する。

この神を信じようとすると行き着く疑問、「悪の問題」は古代からあり、以前ブログ

で触れたが難しい問題である。ちなみにファーブルも同じ疑問を持っていた。

ダーウィンは信仰者でなかったので、アニーの死も特別な目的があって亡くなったの

ではないのだという結論に至る。つまりこの世の苦痛は神の介入とは関係はなく、

一般的な自然法則の結果であるという考えだ。

 

アニーのことは、ダーウィンは身体の虚弱な自分に似たのが原因でないのか?とか

エマとの結婚がいとこ同士だったことが影響を与えたのではないかと悩んだ。

遺伝の問題はダーウィンにとって大きなテーマであり、種の起原発表後に自身が考え

た遺伝の理論を発表していくことになる。なぜ違った特徴を持つ個体ができるのか、

そしてその性質がどのように子孫に伝えられるのか、そのシステムを説明する必要が

あると考えたのだ。

 

書籍「ダーウィンと家族の絆」の中にはファーブルについても少し触れられていた。

ファーブルが熱心なクリスチャンという記載は間違っているが、ファーブルへの手紙

の中で、昆虫記第一巻末の亡き息子ジュールへの想いの部分に対し、ダーウィン

言及していたことがきちんと書かれている。

” 一筆付け加えさせてください。ご著書の最後の一文を読み、あなたのお気持ちに深く

ご同情申し上げます ” (同書 第16章より引用)。

亡きジュールとアニーは、ファーブル、ダーウィンそれぞれの秘蔵っ子であった。

手紙の日付はアニーと別れて30年近くも経っているが、悲しみを共有できる心の傷は

まだダーウィンの中にしっかり残っていたのだろう。

 

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 エマ・エリザベス、ダーウィン(1820~98) 、1863年写真。

ダーウィンの妻エマではない。

ダーウィンの祖父エラズマスの二番目の妻との間の息子である、

フランシス・サチャヴェレル・ダーウィン卿(1786~1859 医師) の娘エマで、

ダーウィンとは同じ祖父を持つ従妹にあたる。

ダーウィンの父ロバートは祖父エラズマスの最初の結婚でできた息子)

結婚してウィルモット姓になっている、馬車に乗った姿はやはり裕福だったようだ。

 

kotoba2020年夏号

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  • 発売日: 2020/06/05
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