昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

「種の起原」への反発ーアラメジガバチ

1879年初版の昆虫記から3年後に第二巻になる新昆虫記が刊行された。

新昆虫記には亡き愛息ジュールへのファーブルの献辞が添えられている。

またこの年の4月に既にダーウィンは逝去しているが、ダーウィンからの書簡に書かれ

た要請に応える形で、昆虫記第一巻で厳しく非難したダーウィンの祖父エラズマスに

対する記述に誤解があったことを認め撤回している(昆虫記第二巻10章参照)。

 

第二巻2~4章にかけては、アラメジガバチについて言及されている。

アラメジガバ(粗目似我蜂)は膜翅目アナバチ科ジガバチ属で体長12~22㎜。

雌が幼虫の食料にガの幼虫ヨトウムシ(夜盗虫)を狩り巣に蓄える。

(完訳ファーブル昆虫記第二巻上参照)

ファーブルは詳細に観察し、アラメジガバチがヨトウムシの体節ごとに計9回、

針を刺すのを確認している。そして最後に頭部を二十回ほど噛んで殺さない程度に

締めつけ麻酔術を終えるという。

 

この麻酔術は持って生まれた能力であり、親から学習した技術ではないのだから、

間違いなく本能であるとファーブルも書いている。

そして、ここからまたファーブル先生の進化論批判が展開される。

 あなた方進化論者は、本能が獲得された習性であるという。…はるか大昔に一頭の

 狩りバチが偶然にヨトウムシの神経節を傷つけた。…新鮮で生き生きしていながら

 も危険のない獲物をもたらしてくれた。ハチは、これを素晴らしいと思い、…

 自分の一族に遺伝によって伝えたことになる。

 (完訳昆虫記第二巻4章より)

そして、ヨトウムシのどこを刺していいかわからない状態から、約9ヵ所の場所を

選んでいくことになったのなら、無限に近い可能性の中からどれほどの組み合わせが

必要で、どれだけ時間が必要だろうかと述べ、この進化論の理論では偶然というもの

にあまりに頼りすぎていると述べ批判している。

 

ハチは淘汰され上手なものが残されて、本能がしだいに発達してきたと言うかもしれ

ないが、段階的に発達していく本能はありえないと述べ、ファーブルの批判は続く。

だんだん力の強い大きな獲物が好まれるようになり、刺す回数も増えていったのだ

という説に対し、狩りバチは獲物が決まっており、同じ仲間以外の獲物は受け付け

ないと否定する。

そして、偶然幼虫の適切な場所を刺した行為は、ハチに深い印象を残し、これは遺伝

によって伝えられ、その子孫はその行動を受け継ぐことになる。

つまり、進化論者は本能を獲得された習性だとし、改良されながら遺伝によって伝え

られると言うなら、なぜ最高度に進化した人間にそれができないのか?と疑問を呈

する。取るに足らぬ昆虫が、その子孫に自分の技術を伝えるのに人間にはできない

のである。

人間でこの能力が残されていないのは、生物の世界では進化が全てではないからだ

と述べ、これによりファーブルは進化論者が唱える本能に関する理論を否定すると

断言し、これは精神的な遊びだと厳しい言葉で結んでいる。

 

ファーブルは狩りバチの技術が優れているのは、これを使うように創られているから

であって、先天的な才能で最初から完璧で変化しないものだと言っている。

理由は述べておらず、生物というのはやはり自然の中でそのように生まれついたもの

で、理由づけできるものでないと考えていたようだ。

ファーブルの長期間の観察によって培われた考え方なのだが、個人的な自然観も加味

されているのかもしれない。

 

全ての種は神が創造したものだというのはキリスト教徒の信仰である。

ファーブルもまた旧約聖書の創世記部分はお気に入りだったのだが、あくまでも物語

としてであり、彼は真のクリスチャンではなかった。ファーブルは自然などすべてを

包含するような "神=自然" の汎神論的な宗教観を持っていたと小生は思っているが、

勝手に生物が選択され進化していくという理論はクリスチャンでなくても、生理的

に受け入れ難かったのかもしれない。

  

ファーブルの進化論に対する反対意見を読むと、ダーウィンが獲得形質の遺伝を認め

ていることに対して、最も強く反対している印象である。

後天的に獲得した能力は遺伝しないというのは正しいのだが、ダーウィン自身が

種の起原」内ではっきり述べているように、これはあくまでも副次的であって、

メインは自然選択の考え方であるという主張には沿っていない反論である。

 

小生は虫屋でも昆虫研究者でもないので、ファーブルの観察に対してあれこれ言える

立場にない。したがって、ファーブルやダーウィンの主張に意見できるわけでもない

ので、何か参考になる本はないかと探し、岩田久二雄先生の本にたどり着いた。

今はさらに研究は進んでいるのだろうが他に適当な本は見つけられなかった。

「本能の進化‐蜂の比較習性学的研究」眞野書店 昭和46年orサイエンティスト社再刊

は小生には難しいが詳しくて惹きつけられた。よくこんなに調べたものだと感心し

たが、岩田先生自身も昆虫記を読み触発されたのが蜂研究のきっかけだったそうだ。

 

第16章 有剣蜂の比較習性学的考察 の中に狩猟と麻痺行動について書かれている。

蜂の種類と獲物を刺す場所、刺す回数の報告がまとめられていて興味深い。

蜂は獲物が動くから刺すので、運動が止まらないかぎり、とくにその動く部分を

刺し続ける。毒液を神経球に直接注入するというより、蜂自身が安全を確保する

ために獲物の背面に定位するので、この姿勢で刺せば獲物の腹面の神経球のそばを

刺すことになるのは二次的な結果であるらしいことなど、ファーブル先生が読めば

仰天し反論するかもしれない。

現在は古書でしか入手できず価格も高いのが非常に残念である。

 

幼虫が植物を餌にしていた蜂から動物食性に変わり、他の幼虫に卵を産み付ける外部

寄生や内部に産み付ける内部寄生に進んだ。そんな寄生バチから、細腰となって獲物

を狩りやすくなり永久麻酔を施し幼虫の餌にするような狩りバチに進化したこと。

更に、集団生活をする蜜蜂に進み植物食に戻ったなどと考えると、昔も今も将来も

変化はしないと言ったファーブル先生の主張は旗色が悪くなる。

 

前出本の第6章で、巧妙な刺針術に到達していないものもいることが記載されている。

Zaglyptus iwatai がフクログモの雌を刺すとき、所かまわず刺して死に到らしめるの

だそうだ。ところが近縁のクモヒメバチ族は特定の刺点を選んで刺すという行動上の

特殊化が進んでいると言う。

このような事実は、針を刺す行動が徐々に進化していくなどあり得ない、といった

ファーブルの主張を覆すような報告に思える。

他にも同書内には、同じ場所で同じ時期に営巣している同じ種の蜂が、まったく異な

った種の獲物を狩ることがあると言う。それは最初に遭遇した獲物に執着、学習して

いるのではないかと考察されていて、これもファーブルの主張と異なるようだ。

 

どうもファーブル先生に具合の悪い話ばかりになったが、小生的には正しいか、

間違いかというのはあまり関係ない。研究が進めば新しい事実が判明していく、

誰が正しいということよりもどんな意見があったかということに興味がある。

さて、どこまでファーブルの反論は続くのか、アラメジガバチの章以降もまた検討

して行きたいと思っている。

 

(p.s.)

「クモを利用する策士、クモヒメバチ東海大学出版部刊 が面白かった。

著者自身のこと、研究の過程など興味深く読ませていただいた。

 

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1882年初版 新昆虫記 ペレーズ教授宛て献呈サイン。

Perez 教授は蜂研究で有名、ファーブルとも交流があった。

 

寄生バチと狩りバチの不思議な世界(webコンテンツ付き)

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  • 発売日: 2020/06/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  

完訳 ファーブル昆虫記 第2巻 上

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