昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

アルマスを訪ねた日本人-桑原武夫

先日、「フランス印象記」桑原武夫著 昭和27年 三笠文庫という本を読んでいた。

桑原先生は京大出身の高名なフランス文学研究者で、スタンダールやルソーなどの

翻訳も多い。今まで全く読む機会もなかったのだが、通勤途中にぱらぱらと中を眺め

ていて驚いた。

「ファーブル博物館」という題の文があるではないか!

小生の浅薄な知識では、まだまだ見落としている文章があるのだなぁ…と再確認する

ことになった。

 

はしがきを読むと、この本は著者が昭和12年から14年 (1937~39年) まで訪欧した際

の印象を諸雑誌に発表され、それをまとめたものとのことだ。

「ファーブル博物館」の章は1937年に雑誌に発表されている。

三笠書房版は昭和27年発行だが、最初は昭和16年に弘文堂書房から出版されており、

他にも桑原武夫全集6巻 昭和43年 朝日新聞社刊などに所収されているので、興味を

持たれた方はぜひご覧になってみて下さい。

 

「ファーブル博物館」の章は文庫版なら 5頁ほどの小文で、すぐに読み終わるが、

さすがに桑原先生なのだろう、ちょっとしたことだが意外に気が付かないような情報

が書かれていて、ファーブルマニア的には非常に興味深い。やはりフランスに詳しい

とか、語学に堪能という方が訪問するというのは、まったく感じ方や受け取る情報量

が違うようである。

 

夕方訪れたのですでに閉館になっていたようだが、先生は交渉して中を見せてもら

えることになった。話を進めるうちに、対応してくれた50歳台くらいの男性職員が

ファーブルの息子であることを先生は知る(1937年に会ったのならポールは1888年

生まれなので49歳、ちなみに1967年78歳で逝去している)。

先生が学校でファーブルの評伝を教えていると伝えると非常に喜んだそうだ。

言葉遣いは南仏訛りが甚だしいと書かれている。ポールの訛りがひどいということ

ならば、ファーブル家の者はみなひどかったということになる。プロヴァンス語が

当時は一般的だったのだろう、今では読める人もしゃべることができる人も減って

しまい、ファーブルが書いたプロヴァンス語の詩の草稿の解読も、依頼できる人が

少なくて難儀している有り様だ。

 

早逝した異母兄ジュールの話も出たそうで、兄の夭折後は自分が父の助手であった

と言った時の、心から満足そうな語調と素朴な表情が印象的で、握手した際のポール

の柔らかく暖かな手のぬく味は忘れ得ない、と桑原先生は書かれている。

ジュールはポールの27歳年上で、ポールが生まれる11年前に16歳で逝去しており、

直接面識のない兄弟だが、父ファーブルが最も信頼し期待していたということは

もちろんポールは知っていたはずである。

(ブログ ”ポールの写真” で1939年頃のポールの写真を参照、桑原先生もファーブル

に顔は似ていないと感じたようだ)

この「フランス印象記」という書籍には、他にも哲学者アランを訪問した文もあって

こちらもまた非常に興味深く読むことができた。

 

セリニャンのアルマスを桑原武夫先生が訪問していたことがわかった。

以前、小生は "アルマスを訪ねた日本人" という題でブログを書いたが、1931年頃に

アルマスを訪問された大橋祐之助先生を紹介した。

また、"ユラ県レルウスのファーブル邸" というブログでは、昆虫記邦訳を大杉栄の後

第4巻まで引き継いだ椎名其二について触れた。椎名が小説の中にある通りアルマス

に向かいたどり着いていたなら、大正5年頃のことになるので、今のところ一番早く

アルマスを訪問した名前の残っている日本人かもしれない。

ただ実際に訪問した時のことを椎名本人が書いたものを小生は確認していないので、

文章に残している最古となると大橋先生だが、この時アルマスで応対したのはポール

でなくて、まだぎりぎり存命されていたファーブルの三女アグラエである。

仏語でやり取りまでしたとなると、桑原先生が最も初期の日本人訪問者ということに

なるのかもしれない。

 

大杉栄が1923年4月にフランスのリヨン滞在時、ローヌ川を船でアビニオンまで下

って、ファーブルの住い跡へ行ってみたい、と言っていたそうだ。

(日録・大杉栄社会評論社 2009年刊 参照)

ただ、ファーブルの終の棲家アルマスではないし、アビニョンの住い跡への訪問も

実現はしてないようだ。

そうなると今のところ、日本人のアルマス初期訪問者は、椎名其二 大正5年、

大橋祐之助 昭和6年桑原武夫 昭和12年といった順だろうか。しかしながら、

きっと小生はまだまだ見落としているはずである、引き続き調べていきたいと思う。

 

  

芸術論集 文学のプロポ (中公クラシックス)

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