昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

昔の学校ー未刊原稿より

ああ!私たちは今日、快適だった私の学校からなんと遠ざかってしまったこと

だろう!

 

君たちは私の子供時代、村の学校がどんなものだったか私に話して欲しいのだね、

私の学校について話して聞かせよう。

そこで私は自分にとって最初の心配事になった小さな本、そこにはアルファベット

があり、これに出会ったわけだ。

もうずいぶん昔のことだ。相変わらず思い出はとてもあざやかに残っていて、

これから話すけれど、細かい事まで目の前に浮かんで来るくらいなのだ。

君たちの記憶には、小さな頃の些細な出来事はなにも残っていないだろうけど。

 

杖で木製の義足をつつきながら、ピエールお爺さんは次のように話し出した;

私の学校の部屋の事を何と言ったらいいものだろう?

適当な言葉は見つからないねぇ、なぜならこの部屋はすべての機能を果たしていた

のだよ。それは学校であり、調理場であり、寝室であり、食堂でもあった。

そのうえ、時々それは鶏小屋や豚小屋にも使われたのだ。

この部屋から、固定された幅の広い梯子を使って上の階に上るものだった。

梯子の下には大きなベッドが置かれ、木版でつくられたくぼみがあった。

あの上には何があったか?私にはとうとうわからずじまいだった。

ただ私は先生が、時に雌ロバにやる干し草、時にはジャガイモの籠を腕に抱えて

下りてくるのを見たものだ。

ジャガイモはその後、奥さんが子豚の餌が煮えてる炊事鍋に入れるのだった。

どうも屋根裏部屋であり、人間や家畜の食料を貯蔵する倉庫だったようだ。

 

一階の部屋に戻ろう、つまり学校だ。

南向きに窓が一つある。この家の唯一の窓なのだが、幅は狭くて低い所にあって、

窓枠は頭と両肩を一度につけるとつかえる位だった。

この陽当たりの良い開口部は、建物の中でたった一つの明るい場所だ。

学校は村では重要な位置を占めており、漏斗状の窪みの形をした谷の斜面に建て

られていた。壁に垂直な戸枠の側面に、先生の小さな机があった。

その反対側の壁には水がいっぱい入った銅の桶が納められたニッチ(窪み)が

作られていた。そこには喉が渇いた者に都合良く、すぐ取れるように取っ手付き

茶碗があって、水が汲み取れるようになっていた。 

ニッチの上の方には棚が何段かあり、錫の食器、大皿、普通の皿、それにゴブレット

(脚のないカップ)が燦然と輝いていたが、これは大きな祭りの日だけその礼拝堂

から降ろして使われるものだった。

 

 あちらこちら日の光が侵入してくるところがあって、そこでは壁に貼られた大振り

な色のタッチで描かれた色彩豊かな絵にぶつかっていた。

そこには、”悲しみの聖母” 像があり、悲嘆にくれたこの聖なる母は青色のマントを

少しはだけ、その心臓を貫く七本の剣を見せていた。

こちらを大きな丸い目で見ている太陽と月の絵の間には、”父なる神” もいて、彼の

白い法衣はまるで嵐にあったかのように膨らんでいた。

今、目に浮かび、そして今からも思い浮かべるだろうが、窓の右側にあの有名な

”さまよえるユダヤ人” がいた。三角帽子に革製の前掛け、金具のついた靴、そして

頑丈な杖だ。こんなに髭のある人を見たことがない、とその絵を取り囲むように

書かれた讃美歌は言っていた。絵描きはこのディテールを忘れなかった、老人の顎髭

は広がってすっかり白くなり前掛けを覆っていたが、それは膝にまで達していた。

 注:さまよえるユダヤ人ー刑場に引かれるキリストを侮辱した罰として

  永遠に世界を彷徨うという伝説。(大辞泉参照)

 

左には雌鹿と一緒の ”ブラバンのジュヌヴィエーヴ” がいたな。

茂みの中には荒々しいゴロが隠れている、短刀を手にして。

そしてこれはフィレンツェの雌ライオン、子供に向けられた長く尖った爪が、子供の

母親の絶望の身振りの前で大人しく止まってしまった。

こちらは、代金を払いたがらない悪い客たちによって、戸口で首を絞められた掛け

売り居酒屋氏の臨終の様子だ。…といった具合に、あちこちから来たいろんなテーマ

が自由な視点で繰り広げられていくのだよ。

注:元は中世ヨーロッパ伝説で、王家から嫁いだジュヌヴィエーヴは夫不在時に

  家臣のゴロに裏切られる。

  森の中で雌鹿に助けられ子供と何とか生き延びるが…。

  19世紀にオペラが上演された。

 

 あれは私たち生徒にとっては、赤、青、黄や緑の色の色彩で視点を引き付けてしまう

美術館だった。今では学校を飾るために、君たちには基準に乗っ取った趣味の良い

絵をみせてくれるね。私の子供時代は、アートとは言えないような理屈もない

いくつかの安物の絵の前で、私たちはとても幸福だったのだ。それら以外に先生は、

生徒たちのエスプリと感受性を高める目的での陳列場をつくらなかった。

そんなことは先生の気にすることではなかったのだ。彼なりのアート感覚で自分好み

の場所をつくり上げてしまって、私たち生徒はそれで美しいと思ってしまったのだ。

 

 安物を寄せ集めた美術館は年中、生徒たちの注目を集めていたが、冬になるともう

一つ別の喜びに私たちは引き付けられていた。それは厳しい寒さと雪の日が続くとき

だった。部屋の奥の壁と暖炉に向かって、実寸法の本物の建築物が作られるのだよ。

そのカーブを描いたコーニスは建築物の横幅いっぱいに及んでいた。

というのは、並外れた大きさにしておいていろんな用途に使えるようにする、という

ことなんだ。

真ん中には暖炉があるが、左側にも右側にも、高さも結構あるのだが、大きなニッチ

左官工事と大工仕事によってしつらえている。

どちらにもベッドが一台ずつあるが、そのマットレスは使い果たされた小麦の詰めら

れた埃っぽいものだ。

注:コーニスー壁を完成させる水平な形の外枠、建築用語。

  ニッチー壁に設けられた窪み

 

 レールを滑る二枚の木の板が戸板の役目を果たしていて、寝る人が一人きりになり

たい時はそれを閉めることになる。

この共同寝室はマントルピースの下に作られていて、二人分の寝室は学校の特別生、

つまり二人の寄宿生に充てられていた。夜、戸板が閉められ北風が屋根の上で唸り、

雪が運河の入り口で渦巻く時、あの中はさぞかし快適だったことだろう。

 

残りの場所は暖炉と暖炉の備品で占められた。三本足の腰掛や乾燥したままでいる

ように壁に吊り下げられた塩の箱、夜になれば部屋の灯りであり、かつ油ランプの

節約にも役立つ樹脂を含む薪を燃やす粘板岩の縁、両手を使って作業しなくては

いけない長いスコップ、そして鞴(ふいご)だが、これは君たちが絶対に見たこと

のない代物だ。鞴は頑丈な枝状の形で、その長さにそって赤い鉄で特徴づけられて

いた。この導管で口からの息は遠くからでも、もう一度火を起こしたい場所に届く

のだ。だから私たちは素朴な田舎のやり方で、子供の頬を膨らませていたのだよ。

 

二個の小石をカチカチさせて、先生が持ってきた葉付き柴の束に炎が上がり、暖炉で

いい気持ちになるために、私たちが朝それぞれ持ち寄って来なくてはいけなかった

薪にも火が付いた。何も持って来なかった生徒は遠くで震えていた。

ああ!私のあの頃の学校から、現在の私たちは何と遠くにいることだろう。

今ではストーブがあって、誰もが暖かさを分けてもらえるからね。

生徒の中にはかなり遠くから来る子供もいて、夜明け前に家を出なくてはいけなか

った、しばしば膝までの雪の中を歩いて。

そういう彼らが薪無しで学校に着いたとすると、痛くなった指の凍えを取るための

唯一の方法だった暖炉の火床の周りに彼らの場所はなかったのだ。

                               (以上)

 

この未刊原稿は昆虫記第6巻第4章「私の学校」冒頭部分に使われている。

読みやすい集英社版ファーブル昆虫記第6巻上にぜひ目を通して頂きたい。

昆虫記にない文もあるので、未刊原稿が昆虫記の元になっているのかもしれない。

第6巻が刊行されたのは1899年で、昆虫記以外の出版物はほとんど書かれていない

時期だから、やはり未刊原稿の方が先に書かれていたのではないかと考えられる。

特に自伝的なこの部分は何度も書くのは難しいはずで、没原稿になったからこそ、

後の昆虫記第6巻に使用できたのではないかと推測している。

 

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左図:未刊原稿「昔の学校」冒頭部分。

右図:昆虫記6巻4章「私の学校」冒頭部原稿。

 

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左図:悲しみの聖母ー心臓を貫く矢は七つの悲しみを意味する。主にカトリック

右図:ブラバンのジュヌヴィエーヴーゴロは処刑され城には戻れたものの、

                 神に召されてしまう。

 

完訳 ファーブル昆虫記  第6巻 上

完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上

 

  

La Légende du Juif Errant suivi de Le Passant de Prague

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