昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

パスツールー狂犬病ワクチン

パスツールの業績を挙げればきりがないが、人類に貢献した点で最も目を引くのは

狂犬病ワクチンの開発だ。

狂犬病は発病している動物に咬まれることにより、唾液に含まれるウイルスが侵入

する。咬まれた場所、数、深さなどによって発病までの潜伏期間は大きく異なり

二年間という例もあるそうだ。

神経に沿って少しずつ脳神経へと昇っていくので、足の先の方なら時間がかかる

という理屈である。それにしても発病すればほぼ100%の致死率という点では

最強ウイルスかもしれないが、インフルエンザのように空気感染するわけでない

のは救いだ。

日本は世界でも数少ない狂犬病清浄国なので、もうひとつピンと来ないかもしれ

ないが、他のアジア諸国、アフリカなど狂犬病で今も五万人以上の人たちが命を

落としている。(2004年統計)

日本のように犬を見てすぐ手を出し触ろうとすることなど海外では気軽にできない。

普通は1~3か月程度で幻覚、精神錯乱などの症状から昏睡となり死亡する。

狂犬病と名付けられているので、犬ばかりの病気だと勘違いするが哺乳類はすべて

感染しうるというのは盲点である。

日本でも1950年位までは患者もいたという。戦後の混乱が影響していたのだろう。

厚生労働省HP 参照)

 

パスツールはこの狂犬病の治療に取り組んだ。

ウイルスを注射して死んだ兎の脊髄を乾燥した無菌の空気にさらすと、約二週間で

無毒になる。生きた組織がないとウイルスは生きていけないのかもしれない。

この二週間目の弱毒な組織抽出物の接種から始めて、徐々に短い日数のものを注射

していけば強毒ウイルスへの免疫がつき発症が抑えられるという考え方である。

しかし人への接種となるとパスツールは非常に慎重だった。

動物体内のウイルスを扱ってはならないという当時の医学概念に逆らうもので、

医学界だけでなく研究所内からの批判もあったからである。

 

1885年7月に手足を犬に咬まれた9歳の子供がパスツールのもとに母親とやってきた。

咬んだのは明らかに狂犬病の症状を呈していた犬であった。

すでに医師によりフェノールという消毒剤で焼灼処置をされていたものの、

発病は免れないだろうという状況で、パスツールは友人の医師グランシェらの意見も

聞いた上でワクチン接種を施行した。

(科学者パストゥール みすず書房、ルイ・パストゥール 3 講談社学術文庫 参照)

 

パスツールに助けられたその子(ジョゼフ・メイステル)は成長し、後にパスツール

研究所の門衛となる。1940年戦争中、64歳になった少年はドイツ軍が墓所にまで来た

際に鍵を開けるよう強要されるのを避け自死した。

これが良い話なのかわからないが、彼はパスツールに救ってもらった恩義をずっと

感じていたのだろう。

ただこの逸話は現在否定されている。

ドイツ軍がパリに迫った際に、家から避難所へ出した妻娘が亡くなったと思い

その罪悪感から自宅でガス自殺したと言われていて、墓所をドイツ軍から守れず

拳銃自殺したという逸話は神話ということらしい。

 

ファーブルは天然痘のワクチンを接種していたが罹ってしまったという過去がある。

顔に傷が残ってしまいワクチンへの信用は低かったようだが、この狂犬病の治療に

関しては非常に評価しており、自著の中でその功績を讃えている。

ファーブルによるとワクチンが開発される前は、咬まれた傷口を真っ赤に焼いた鉄

で焼いていたという。このワクチンの最も優れているところは咬まれた後でも、

発病前なら発症を予防できるという点である。

 

 今では医学の力が非常に進歩している。手遅れにさえならなければ、狂犬に噛まれ

 ても決して狂犬病になるようなことはない。この完全な治療法を発見したのは

 フランスの有名な医学者のパストウルだ。この治療法が発見されてから、狂犬に

 噛まれてすぐ医者の所へ駆けつければ、単に注射するだけで完全にこの恐ろしい

 病気から逃れることができる。

 もしパストウルがこの治療法を発見しなかったらどうだろう。

 真っ赤な鉄で焼かれるのが恐さに医者の所へ行かない人達は、おまじないをして

 もらったり神様へお祈りしたりして治そうとする。

 けれどもそんなことが何の役に立つだろう。狂犬に噛まれてから三、四十日は

 何ともないが、そのくらい経つとそろそろ身体に変化が起こって来る。(中略)

(ファブル科学知識全集第三巻 自然科学物語26章 狂犬病より一部引用 昭和4年

 注:パスツールは医師ではない。

 

ファーブル家もブルやトムと名付けられたペットを飼っていた。

狂犬病は他人事ではなかったのだと思われる。

(ブログ:閑話(1)ーファーブル家の犬 参照)

 

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 「ドン・キホーテ (ドン・キショット) 」フランスの風刺週刊誌 1886年

当時からパスツールはずいぶん批判されたようだ。

 

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「 L'ILLUSTRATION 」1885年11月7日号

研究室においてワクチン接種の公表された二番目の患者。

見守っているのがパスツール、接種は友人のヴュルピアン医師のようだ。

当時は胸にワクチンを接種していたのだろうか?

1885年10月、少年は犬に襲われていた子供たちを守ろうとして自分が咬まれた。

15歳の彼は ”羊飼いのジュピーユ” としてその名を知られる。

発病を免れ、この後一年数か月の間に2400人以上の人がワクチン接種を受けた。

後にパスツール研究所の職員になり1923年53歳で逝去。

研究所には狂犬と闘っている少年の像が建立されている。

御覧になりたい方は ”le berger Jupille” で検索してみて下さい。

  

ルイ・パストゥール〈3〉 (1979年) (講談社学術文庫)

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疾患別医学史〈1〉 (科学史ライブラリー)

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科学者パストゥール (1964年) (みすず叢書〈5〉)

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