昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

「種の起原」への反発

ダーウィンとファーブルは互いに研究者として敬意を払っていたが、進化論について

ファーブルは強く反対していた。それでも実験を頼まれれば引き受けていたわけで、

真理を追究する姿勢は共通していたのだろう。

ダーウィンの「種の起原」を知らない人はいないくらい有名な本だが、読むとなると

難儀である。邦訳はたくさんあるが非常に読みにくい。ただ訳の問題ではなく著者の

言い回しに問題があるのではないかと感じる。

本来、予定されていた本はもっと大部だったようだが、急いで出版したためこれでも

短くなったというのだからびっくりである。

 

ファーブルの名は「種の起原」の中に2ヶ所見つかる。

一つ目は、あの有名な "比類なき観察者" というフレーズで、第4章 自然選択 の中に

出てくる。邦訳の初版では記載が無く第6版で記載がある。途中の版が気になったので

原文の方を調べてみたが、何と1866年の第4版から挿入されていた。

第6版からこのフレーズが入っているというのはどこかで読み信じていたが、これは

邦訳が初版と第6版のものしかなく、途中の版の原文を確認できていなかったため

なのだろう。

 

もう一つは第7章 本能 で出てくる(6版では第8章)。

こちらは初版からファーブルの名が掲載されているので驚かされる。

つまり1859年初版刊行前に既にフランスの無名の教師ファーブルをダーウィンは承知

していたことになる。1855年にファーブルはコブツチスガリの論文でモンチョン賞を

受賞しているので全く無名というわけではないが、それにしても仏語の研究誌まで

チェックするというのはダーウィンの研究熱心さは際立つ。

記載内容は、タキテス・ニグラ(Tachytes nigra) についてのファーブルの研究に関して

言及されている。

他のアナバチの巣に一時的に寄生するというこの虫の習性が種にとって有利であり、

横取りされたハチを絶滅に追い込むこともないなら、この行動は自然選択によって

恒常的な習性になると考えて差支えない、とダーウィンは述べている。

 

さて、いかがなものだろうか?

小生はダーウィンとファーブルがいつ交流を始めたのか知らない。

(手紙は残っているが1880~81年のダーウィン晩年のもので、ファーブルから2通、

ダーウィンから4通の計6通である。もっとあったと思うが確認出来ていない)

もしまだ交流する前で、ファーブルが「種の起原」初版で名を引用されることを事前

に知らなかったとすると、この引用部を読んで相当に激怒したのではないだろうか。

しかも、賛同していないダーウィン自然選択説に、自分の研究が利用されたとなる

と激しく反発したファーブル先生を想像するのは容易である。

 

おそらく事前に知っていればファーブルは引用を認めなかったと小生は思っている。

このような経緯があったと仮定すれば、その後、昆虫記で繰り返し進化論を否定して

いることにも合点がいく。

それにしても、昆虫記第1巻9章ではダーウィンの祖父エラズマス・ダーウィンの著作

の間違いを強く批判している。親族に当たるというのは見当違いなのだが、お怒りは

激しい。このファーブルの反発はもちろん孫のダーウィンへと向かっていることは

明らかであり、特に同章の最後に書かれている批判は容赦ないので、ぜひ読んでみて

頂きたい。1859年「種の起原」出版から昆虫記第1巻刊行の1879年まで20年が経過

しているというのに、ファーブル先生の矛先は収まっていないままだったようだ。

 

以上のことはみな小生の勝手な妄想であるが、一部でも当たっている部分があると

すれば、そもそも二人の関係はスタート時点で既に躓いていたことになる。

まさに蚕病研究でファーブル宅を訪問したパスツールとの出会いのようである。

それでも後年になって交流が続いたのは、興味ある領域が重なっていたためか、

ダーウィンの人柄なのかもしれないが、良し悪しは別にして早くから自分の業績に

目を向けてくれたダーウィンに、ファーブルも一目置かざるを得なかったのかも

しれない。

 

昆虫記第1巻送付の御礼の返事をダーウィンはファーブルに書いているが、

祖父のことまで言及されているのに平静な内容である。ダーウィンもまた腹の中が

煮えたぎっていたのかもしれないが、激しい面は感じられない。

ファーブルの指摘に対して祖父の弁護をしていて次版では変更してほしいこと、

自分の説にファーブルが反対しているのが残念なこと、そしてこの説はファーブル

の観察にも役立つこと、さらに別の手紙では昆虫記第1巻に掲載された帰巣行動の

新しい実験をファーブルに提案もしている。

このようなダーウィンの姿勢はファーブルの反発を最低限に抑えたのではないかと

小生は想像する。理論に賛成はしないが交流に値する相手だとファーブルも認めた

のではないだろうか。

そうでなければ「種の起原」に引用された自身の名前の削除を求めたはずである。

 

種の起原」1866年第4版刊行以後、"inimitable observer" とファーブルを最高に

称えたのは、もちろんダーウィンがファーブルの業績を知ったうえで挿入している

のだが、よもやファーブルの反発をどういう経緯かダーウィンが知ったからではない

のか?と小生は勘ぐってしまう。

あのダーウィンが "比類なき観察者" と称したファーブル……とよく引用される

フレーズだが、実はダーウィンが忖度して挿入したのなら非常に興味深い。

 

タキテス・ニグラについては、ファーブルの1856年発表の論文内に記載されており、

この研究を読んで1859年の「種の起原」初版にダーウィンは引用している。

論文名は "アナバチの本能と変態に関する研究" で博物学紀要に掲載され、この論文を

元に書かれたのが、昆虫記第1巻6~8章キバネアナバチの部分に相当する。

集英社版完訳ファーブル昆虫記によると、タキテス・ニグラは旧名になっており、

邦名はクロトガリアナバチ(黒尖穴蜂)である。ファーブルによると、このアナバチ

は堂々とキバネアナバチの巣を占拠するのだそうだ。

 

ダーウィンはファーブル引用部分で、この習性が有利なら自然選択によって恒常的

なものになると考えて無理はないと述べている。

小生にはどうもよく理解できないのであるが、鳥のカッコウの托卵行動のように

一部に托卵するものが出現し、これが托卵をしないものに比べ子孫を残しやすい

ということになれば、このような行動をするカッコウがより多く選択される。

カッコウ=托卵行動というのがほとんどで見られるようになり、当たり前になって

いくということと同じ論理、と言っているようだ。

 

しかし、一時的な習性が自然選択によって恒常的な習性になるというのは、

どうなのだろうか?この言い方だと習性(habit)行動が遺伝していくように取られて

しまう。ダーウィンの言い方にも問題があるように思えて、小生には非常にわかり

にくい。素人にとっては疑問点だらけなのだが、諸々長くなったので次回にまた

触れてみたい。

 

(追記)

ダーウィンから1880年ファーブルに送られた書簡の最後には、昆虫記第1巻の最後の

文にダーウィン自身が深く共感したことが述べられている。

この最後の文とは何か?

以前ブログで触れたが、ファーブルの息子ジュールへの強い思いが述べられている

部分であり、附記の最後をぜひお読みになっていただきたい。

やはりダーウィン先生もよくわかってらっしゃる。

 

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アナバチの本能と変態の研究 ファーブル著より挿入図

「etude sur l'instinct et les matamorphoses des sphegiens」

 annales des sciences naturelles zoologie 1856

アナバチの解剖図

左1:キバネアナバチ雌の生殖器官と有毒器官

左2:同成虫の消化器官

右7:幼虫の消化器官

右8:幼虫の2つの漿液腺の1つ

 

種の起原〈上〉 (岩波文庫)

種の起原〈上〉 (岩波文庫)

 

  

種の起原 (原書第6版)

種の起原 (原書第6版)

 

 

完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上

完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上

 

 

完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下

完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下