昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

昆虫記の翻訳ー椎名其二

昆虫記第1巻を訳した大杉栄の後を受けて、昆虫記第2巻から4巻までを翻訳したのが

椎名其二である。他にルグロ博士のファーブル伝も訳されている。

いったいこの人はどういう方なのだろう?ファーブルとのつながりが小生には分から

なかったので、以前からずっと疑問に思っていたのだが、幸い評伝が藤原書店から

1996年に出版されとても参考になったことを憶えている。

 

実は昨秋から二回続けて秋田県の新潮記念文学館で椎名其二関連の企画展が催されて

いた。期間は十分あったので、まあ、年が明けてからゆっくり角館市に泊まりつつ、

美味しいものでも食べて拝見しようなどと悠長に構えていたのだが…

あれよあれよと新型肺炎騒動になってしまい、小生も体調を崩したりしている内に

とうとう企画展を二つとも見逃してしまうことになった。

 

一回目の企画展の終了日にどうにも悔しかったので館に電話して、何かパンフレット

か資料的なものがあるなら頂けないかなどと不躾なお願いをし、その際に引き続き

二回目の企画展を行う予定だと伺ったので、それにはぜひ行かせてもらいますなどと

調子よく答えたまでは良かったのだが、結局両方とも行けずに終わった。

展覧会には、ゆかりの書簡や資料、椎名自身が装丁した書籍など展示されていた

ようで、ぜひ近くで見ておきたかったのだが非常に残念だ。

 

椎名其二はやむを得ず昆虫記を翻訳したのかと思っていたが、ファーブルに対する

情熱を相当に持って翻訳に臨まれていたようだ。途中、早稲田大学の教鞭時間を削っ

てまで取り組んだという(パリに死す 評伝・椎名其二 藤原書店刊 参照)。

経歴などはネットにも出ているのでこのブログでは触れないが、周囲に居た方々に

大きな影響を与えているので、魅力ある人物だったことは小生でも分かる。

渡仏し地下のような部屋でお金に窮しながらも自由を愛し、本の装丁をしながら生計

を立てていたというだけでも、日本人としては稀有な方である。

著作集や全集が編まれなかったのが残念なのだが、古い中央公論などの雑誌に掲載

された文を読むと内容はみな興味深く面白い。

翻訳を入れても決して多くの文を書き残されてはいないが、小文であっても味わいが

ある。例えば先日、ディナミックという椎名と交流のあった石川三四郎編集発行紙の

中にも寄稿文を見つけたが、あちこちに残された文を個人で集めるというのも厳しい

ので、ぜひどなたかまとめて頂いて、当時交流のあった方々の思い出と併せて出版

して欲しいとずっと思っている。

 

椎名其二は自分宛ての書簡はあまり残さなかったようだ。また、椎名からの書簡も

市場に出ることは極めて珍しいが、数年前にいくつか出て幸い入手できた。

大正6年大正11年(30~35歳)にかけて9通あり、第一回目の帰国前までのもので、

まだ昆虫記の翻訳はされていない時期だ。

主に親族に宛てているため、当時置かれていた生活状況や心境がそのまま吐露されて

おり興味深い内容で、筆跡や言い回しにもとても惹かれる。

関心のある方が参考にできるよう、いつか文学館などから資料として全文活字にして

欲しいと思っている。

以下に書簡の一部を引用しておく。

 

大正7年7月2日書簡、秋田県実家宛て

母上が病気だったと云ふ三月二十七日附けの御手紙は丁度一週間前に着きました。

其御手紙を受取った一時間前にドンムのルクリュー家からマダムが病気だと云ふ

電報があったので働いていた弾薬工場(パリー近郊)から休暇を貰って早速其夜汽車

でドンムに向ひ翌朝到着し…中略…

あー何んと云ふ事だ!何んと云ふ残酷だ!あー何んと云ふ此の世だ!

何故俺れ自身が死なんのか……生を呪ひ死を希ふ俺れ自身が何故死なんのか?

我が父を引き去り、我が子を引き去り、そして今我が母を!…中略…

あー私は苦しい、私の胸が私の呼吸(いき)を止める、私の頭が痛む…

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母の訃報に対する椎名の返信書簡。

母への強い想いが綴られていて、読むとこちらが引き込まれる。

3月末の日本からの書簡は、7月初めに届いたようなので船便だろうか?

消印を見ると、このフランスからの返信書簡は8月末に日本に到着している。

第一次世界大戦でフランスと日本は同じ連合国側だが、それにしても戦争の最中に

きちんと届くだけでも凄いことかもしれない。

 

パリに死す―評伝・椎名其二

パリに死す―評伝・椎名其二

 

 

四百字のデッサン (河出文庫)

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マビヨン通りの店

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