昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

アルマスを訪ねた日本人ー山田吉彦

昆虫記第一巻を大杉栄が翻訳し紹介した功績は非常に大きかったが、昭和5年から

刊行が始まった岩波文庫版昆虫記の出版も日本での昆虫記普及に貢献したはずだ。

(やっかいな昆虫名の和訳は古川晴男博士が手伝うことで解消されている)

この岩波文庫版ファーブル昆虫記の翻訳は、山田吉彦林達夫の共訳となっていて、

文庫は全20分冊で2分冊で昆虫記1巻相当になっている。小生はこの二人が昆虫記の

どの部分を担当しているのか知らなかったが、共訳は10分冊のみで後の10分冊は

山田が単独で邦訳しているようだ。昭和5年から27年まで20年以上かけて完成して

いる。文庫なので一般の方はあまり版に興味はないと思うが、この文庫版も重版を

重ねており昭和初期の初版を探すのは困難になっている。

 

昭和2年にフランスの博物学者ラマルクの代表作である「動物哲学」という本を、

山田は動物学者で高名な小泉丹(まこと)と共訳している。この頃に昆虫記邦訳の話が

出ていたようで、親しかった林達夫と手分けして訳そうという話になったらしい。

アテネ・フランセの給与だけでは暮らせず、昆虫記を訳していたという話もあるが、

きだみのる 放浪のエピキュリアン 新藤謙著 リブロポート 参照)

独訳になってからも続けられたのは、山田がファーブルの文体を好んでいたからで

叙事詩と称している。そして、ファーブルから学んだ観察の大切さを自身のその後の

研究にも取り入れたと述べている(永遠の自由人 北実三郎著 2006年 未知谷出版)。

 

この岩波文庫版第1分冊の最後に "訳者から" という部分があって、この中に

"ファーブルの旧地を訪ねて" という12頁ほどの文が掲載されており、これが非常に

興味深い。

これを読むと訪問者はアルマスを二度訪ねたことがあって、一回目はフランス政府の

労働高等諮問院の議員のアドルフ・オデなる人物が同行したとある。オデという人が

どんな方で所属機関がどういったものなのか、さっぱり小生には分からないが、山田

の年表では大正8年に国際労働会議の委員に随行して初めて渡欧しているので、労働

つながりでこの時に知り合った方なのかもしれない。

もう一方の訳者の林達夫とオデのつながりがはっきりせず、第1分冊の翻訳者が山田

単独になっていることから、ここで "訳者から" と言っているのは、山田吉彦のことの

ようである。

訪問時、ファーブルの息子ポールが応対したようで、面白い会話が記載されており、

以下に少し引用しておく(ファーブル昆虫記1 岩波文庫 1993年より)。

 

私はポルに訊ねてみた。

ーお父さんは好いお父さんでしたか。

ーいや、好い親爺でした。とポルは答えた。

ー厳格な?

ポルは幾分ためらった後で答えた。

ーときによるとテリーブルでした。

 

テリーブルは terrible の綴りで英語と同様、怖い・恐ろしい・手に負えないの意味。

ファーブルは一度怒り出すと誰にも止められなかったようで、家族はみな嵐が過ぎ

去るのを待つだけだったらしい。性格は根気強いが頑固でとても怒りっぽい、しかし

それでいて愛する人の悲しみに心を寄せられるという優しさも持っている。

そんなところがまたわれわれが惹きつけられる点なのだと小生は思う。

 

正確な訪問の時期が書かれていないが、ポールの娘が出てきて山田は彼女を14~5歳

くらいと判断している。ポールの子は3人で1人は1歳未満で早逝しているので、

どうも1914年生まれの長女イヴォンヌのようだ。彼女が14~5歳ということは訪問の

年は1928~29年位になる。昭和3~4年なら岩波文庫版昆虫記の刊行前になるので矛盾

しないが、山田の年譜にはその年に渡仏したという記載までは見つけられない。

1928年頃はまだアルマスを管理していたファーブルの娘アグラエも存命であるが、

ポールが応対したとなるとアグラエが亡くなった1931年(昭和6年)以降かもしれな

い。ただ、晩年はアグラエも体力が落ちて、ポールと二人でアルマスを管理をしてい

た可能性もあって何とも言えない。

以前ブログで触れた大橋先生の訪問ではアグラエが応対していて、これは昭和6年

位だと考えているが、ポールの娘に対する見立てが正しいとすれば山田の訪問は、

大橋先生よりも少し早かったかもしれない。

したがって、アルマス訪問日本人の順は椎名其二ー山田吉彦ー大橋祐之助ー桑原武夫

といったとこであろうか。

 

この文の中で最初に訪れた日本人は今回の訪問かどうかオデがポールに聞いている。

ポールはヤマダ、ハナダという軍人達が前に来たと言っていて、山田はこれはパリに

いた海軍武官と補佐官だと思うと書いている。

なぜ軍人がファーブル邸など訪問したのか、そしてそれがいつなのか不明だが、

大杉栄が1923年(大正12年)1~2月に渡仏し5月まで収監後に追放されていて、同年には

昆虫記が刊行されているので、まさかそのあたりに捜査を兼ねて軍人がアルマスを

訪問したのではないとは思うが、昆虫記紹介後の大正末期~昭和初期の訪問であった

ことは間違いないだろう。

ヤマダ、ハナダなる日本人達が来たとポールは言っているが、記帳録をみな確認は

していないだろうから、彼らが訪問した最初の日本人かどうかは分からない。

ポールがアルマスの管理に携わるようになってからの記憶で言ったのではないかと、

小生は推測しており、資料を見つけるのは難しいが、この軍人達についてもまた調べ

てみたいと思っている。

 

集英社版完訳ファーブル昆虫記 奥本先生訳は非常に読みやすく注釈も詳しい。

昆虫にもフランス文学にも造詣が深い方は多くないので、読む側にとってこれほど

恵まれていることはない。今後の昆虫記のスタンダードになると思うが、過去に邦訳

されてきた昆虫記についても集英社版にない付属文があったり、文体の違いなど比べ

て見返してみるのも面白い。また、この昆虫記翻訳者の山田吉彦きだみのる)に

ついては、非常にユニークな方なのでまた別の機会に触れてみたいと思っている。

 

  

完訳 ファーブル昆虫記〈1〉 (岩波文庫)

完訳 ファーブル昆虫記〈1〉 (岩波文庫)

 

  

動物哲学 (岩波文庫)

動物哲学 (岩波文庫)

  • 作者:ラマルク
  • 発売日: 1954/10/05
  • メディア: 文庫
 

 

ファーブルの写真集 昆虫