昆虫記第10巻でファーブルはキノコについて言及している。
19章の「幼年時代の思い出」を読み直してみたが、おそらく訳しにくいであろう
ファーブルの文章がすんなりと入ってくるので、あらためて訳の有難さを感じた。
この章では自身が描いたキノコの絵についても述べられているが、章末でファーブル
は絵の行く末について非常に心配している。
しばらくは形見としてとっておかれるだろうが、そのうちみじめな最期を遂げる、
などとファーブル先生は嘆いているが、まさか絵の多くが国立の自然史博物館で
保管されることになろうとは、この時は想像できなかったことだろう。
19章にはファーブルなりのキノコの分類法があって、それは書籍にも記載されている
方法と同じだったとあるが、キノコの同定にはかなり苦労したはずである。
イタリアの著名な菌学者の著書を参考にしていたが、現在は近代的命名法で見直され
ており、新種としてファーブルが世話になった知人や手伝ってくれた家族の名前を
冠したものは有効でなくなっている。
セリニャン周辺のみではキノコの採集に限界があったはずだが、多くの絵を描くこと
が出来たのは結婚して別に住んでいたエミールの助力が大きかった。
マルセイユに住み数学教師として教鞭をとっていたが、妻はサランシュの実家に
時々帰ったのでエミールも夏の休暇時などは一緒に滞在したそうだ。
そして滞在中に父親に多くのキノコを送った。(ファーブル伝 平凡社参照)
サランシュ:フランス東部のコミューン。内陸でスイスとの国境近く、アルプス
が近いので気候は南仏と違い寒暖差が激しい。
キノコは郵送の過程で傷んでいるものもあった。しかも短時間で色合いが変わったり
別の色が滲み出てきたりするので、絵として残すには時間の余裕はなかったようだ。
ファーブルのキノコの絵には日本で見られない品種もあるので、”和名なし”となって
いるものも多い。またその後の研究で属の名前が変更されたものもある。
所蔵している中から真筆と思われる絵を掲載。
”Cortinarius Emilianus” 1892
和名なし フウセンタケ属
種小名は息子エミールの名前から取っているが現在は有効ではない。
(ジャン・アンリ・ファーブルのきのこ 同朋舎出版参照)
同書の73番とほぼ同じ図柄だが傘の向きなどがわずかに異なる。
また、自然史博物館サイト、「Pilze」 Matthes & Seitz出版にも全く同じ絵はない。
フウセンタケ属は500種を超え確信を持って同定できないため、食用は避けた方が
良いとある。毒性の高いものもあるようだ。(世界きのこ大図鑑 東洋書林参照)
ファーブルから息子エミール宛の書簡
親愛なるエミール
200フランを送付します。
最近はいくらか余暇を楽しんでいるよ。
もしおまえが素晴らしいキノコを見つけて、
そして私のもとに良い状態で届けてくれたなら、
喜んで絵筆さばきを見せられるのだが。
みんなによろしく。
J.H.ファーブル
1890年8月16日 セリニャンにて
注:ファーブルはエミールに他の書簡でも郵便為替で送金している。
当時の1フランがいくらになるのかはっきりしないが、金換算で1400円と
しても28万円と高額だ。キノコの郵送代としては高すぎるし、ファーブルに
そこまで余裕があったとも考えられないのだが。1889年に生まれた孫息子や
エミール家の生活費も入っていたのだろうか。
ちなみにエミールは1914年に51歳でファーブルより一年早く逝去している。
1914年は弟のフレデリックも逝去しており、ファーブル先生にとっては
自身の衰えもあり心身ともに厳しい年だったと思われる。