昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

コルシカ島のファーブル:モキャン=タンドン(続)

博物学者モキャン=タンドン (1804~1863) はファーブルの人生において重要な人物

の一人なのでもう少し述べておきたい。

そもそも日本語表記はモキャンなのかモカンなのか?集英社版はモカン=タンドンの

表記である。大正期叢文閣版はモカン、岩波の山田吉彦はモキャン、津田先生の著書

モカンだ。小生もモカンで以前は書いていたが、仏語発音がどうしてもモキャンに

聴こえるので、今回はモキャン=タンドンの表記とした。

 

変わった名前だと思い調べると、正式にはクリスチャン・オラース・ベネディクト・

ルフレッド・モキャン=タンドンという長い名前になっている。

オラース=ベネディクト・モキャンという名の父とセシル=ウフェミー・タンドン

という名の母からそれぞれ名をもらっている。アルフレッドは親からの命名だろう。

父からのベネディクトはローマ教皇由来だろうか、クリスチャンもついているので

熱心なカトリック家系なのかもしれない。オラースはホラティウス古代ローマ時代

の詩人。母方のタンドンはインドのある氏族に多い名だが関連は不明。17世紀には

フランスも東インド会社をつくっているのでインドと交流はあったようだが、調べて

みるとフランスにタンドンの名は少なくなくインド起源だけなのかはわからない。

前回ブログでタンドンの肖像を載せたが、そう言われればどことなくインド系の顔立

ちが有るような無いような…、気のせいだろうか。母親は最後のトルバドゥール

(吟遊詩人) と言われた、アンドレ=オーギュスト・タンドンの孫娘だそうだ。

モキャン=タンドンが1804年にこの祖父の家で生まれた際、出生時の証人となって

いる。父親の職業は商人で、タンドンは当初家業を手伝っていた。

 

その後同郷の植物学者ミシェル・フェリックス・デュナルに師事し22歳で理学博士、

24歳で医学博士となり、25~26歳でマルセイユアテネ大学で動物学教授、29~34歳

ではトゥールーズ大学博物学教授、34~48歳まで同大学植物学教授。49歳からはパリ

医学部で医学博物学を担当しており非常に優秀な人だったことがわかる。

師の植物学者デュナルは高名で、菌類、ナス科の研究があり、モンペリエ大学には

現在も彼のコレクションが残されている。タンドンがデュナルに師事した経緯は不明

だが最初の先生には恵まれたようである。そして将来の教授への道もこの時にすでに

敷かれていたのではないだろうか。独学のファーブルとは比べようもないが、一方は

安月給の教師、一方は20歳台で既に教授職に就いているのだから、いったいこの差は

どうやって生まれるのだろう。

 

フランスはヒエラルキーがはっきりしていると聞いたことがある。本屋で例えると、

田舎の古本屋などは決してパリの一等地で開業するようにならないといった話だ。

高価な書籍はみな上位の書店に集まる仕組みで、彼らはスペシャリストとして大きな

オークションを担当し少数で市場を独占することになる。

本屋に例えるならファーブル先生は田舎の古書店に過ぎない。パリ理学部に学位論文

を提出し知り合いのタンドン教授も医学部にいるなら、いずれ自分も教授職に就く

ことを夢見ていたのかもしれないが現実は厳しい。

 

ほとんどの人はファーブルなど知らなかったはずだが、その後の研究でモンチョン賞

を受賞した時はみな驚いたことだろう。これも本屋に例えるなら、コツコツ働き普通

なら入手できないような貴重な書籍をゲットしたようなものだ。だがそれで教授職と

いう場所に行くことができるわけではない。

ファーブルが教授職を諦めたのはアカネ染色の工業化に挫折し、アヴィニョンを追わ

れた頃だろうか。その後のファーブルは教授でなくても研究を続けていくことで、

目を見張るような仕事をし、他者に大きな影響も与えられるのだということを証明

していく人生となる。

 

さてファーブルとコルシカで出会ったのは、タンドンは植物学教授をしている頃だ。

彼は1855年に「フランスの陸生及び河生の軟体動物の自然史」という大部の書籍を

出版している。この中でタンドンは軟体動物の研究を1835年、トゥールーズ大学で

動物学の教育を担当している時に始めたとある。1837年に中断され1845年に再開、

1854年に完成した。したがって、ファーブルがコルシカの貝類学を研究していた時

よりも15年位前から着手していたことになる。その間、文献や標本を集め12年も

かけて完成にこぎつけた研究である。

若い教師のファーブルが1850年頃から3年程度で何とかしようとしているのを見て、

タンドンはどう感じていたのだろうか。意欲のある若者だと思ったか、性急な印象を

持ったか、それともそんな付け焼刃な研究では何も書けないよと、内心は厳しい目で

見ていたのか。ファーブルと会った1852年にはタンドンの研究も進んでいたはずで、

タツムリの解剖をしてみせたこと以外に彼はファーブルに何か伝えたのだろうか。

 

1853年1月に軟体動物の文献について、二人がやりとりしていることからタンドン

自身も研究をしていることはファーブルは知っていたことになる。タンドンも自分と

似た研究をしている者がいることを知って多少焦ったか、それともファーブルの研究

の一部を自分の書籍のコルシカ部分に充てようと考えたかもしれない。

ファーブルの研究がどんな内容かを知りたかったのか、それとも親切に間違いなど

チェックしようとしていたのか、タンドンはファーブルに原稿を送れとも書き送って

いる。実際にコルシカの部分でファーブルはタンドンの著作に協力しているので、

原稿や資料の提供は二人の間でその後も行われたのだと思われる。ファーブルの名は

この著作の中でよく出てきて、協力者の中の一人として記載されている

 

他に、この本の序文にはコルシカの軟体動物のコレクションをブラウナーという人が

タンドンに送ってくれたことや、ルキアンがボニファシオで採取した珍しい品種を含

むすべての個体がやはり送られていたことも明らかにされている。

ルキアンと晩年まで交流のあったファーブルはこのことを知っていたのだろうか?

また外国の研究者からもタンドンにコレクションが送られており、これはフランスの

個体と比較するのに役立ったようだ。しかし多くの貝類学研究者がなぜ惜しげもなく

貴重なコレクションをタンドンへ送ったのだろうか?

タンドンの大学教授の肩書きだろうか、それとも彼なら確実に出版するとみな信じて

協力したのか。1857年にタンドンはフランス植物学会長を務めるのだから、人望も

各方面へのパイプも太い人だったのかもしれない。

 

当時のフランスでいったい教授になれる資格とは何だったのだろう。

優秀で経済的余裕があって、やはり面倒な作業でもまとめてやり遂げる能力かもしれ

ない。これは収集は得意でも書籍にするのが苦手なルキアンの弱点だった部分だ。

では、もしファーブルに経済的余裕があればどうなっていただろう。

出版もやり遂げることはできたかもしれないが、教授として上下の先生や学会仲間と

の付き合い、そして同じ研究者たちからの信頼やつながり。これらはごく限られた人

にしか心を開かない傾向のあるファーブルには、かなり苦手なことだったはずだ。

やはり、ファーブルはアルマスにこもって独自の研究を行うというスタイルにたどり

着くのが必然だったように思われる。

 

タンドンの書籍の中には、今まで研究されてきた文献の欠点や不備も指摘しており、

やはりきちんと分類することの困難さはよく承知していたようである。

今までの研究を大きく変更することも難しいので、これは絶対に間違っているという

種のみを除外したと述べている。そして、安易に研究者自身の名前を付けたりする

ことも批判している。これはファーブルも後年、早逝した息子ジュールの名を付け

たりしているので命名後にでも読んでいれば耳の痛い部分だったに違いない。

 

この書籍には軟体動物の解剖についての記述もあって興味深い。

ハーフ・マセレーション法が優れた方法であるとタンドンは述べているが、小生には

何のことかわからない。半分浸すという意味だから標本を半分ほど水などで浸した上

で解剖していくと分かりやすいということかもしれない。実際にファーブルへの講義

も皿の水の中で行われたと昆虫記にある。ただし、子宮などは膨張してしまい分から

なくなるので、すべてのパーツに適用できるわけではないとのことだ。

解剖にはいろんな溶液を試したようだが、彼はアゾチック酸 (硝酸?) や塩化水銀の

アルコール溶液で特に神経系でうまくいくことが多かったと書いている。

コルシカでは簡単な裁縫道具でファーブルにカタツムリの解剖をしてみせているが、

決して行き当たりばったりでなく、実はいろんなやり方をタンドンはさんざん試して

おり、そのような基礎があったのでスムーズな即席の講義ができたのだと思われる。

 

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モキャン=タンドン書簡

1839年4月15日、トゥールーズより

ドレスデンティーネマン氏宛。

タンドンは34歳でトゥールーズ大学植物学教授の頃。

内容はよく分からないが鳥の卵についての話で、タンドンは以前から携わっており

多くの種の卵を集めていたようだ。欲しい卵を列挙し、また相手の本には載って

いない種を所有しているとも言っている。

見て頂きたいのは細かい文字と右頁下方の丸い記号のようなもので、これがタンドン

の特徴的なサインになる。