昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

アヴィニョンの生徒たちードヴィヤリオ(続々々)

そもそも、ファーブルの知人のジュリアンが、なぜこのようなファーブルの書簡を

有名な雑誌に投稿したのかという疑問がある。前年がファーブル生誕百年だったこと

もあって、ファーブルをより広く知ってもらおうとしたのかもしれないが、もっとも

大きなきっかけになったのは、当時、ファーブルが文学的表現や手法を使っていると

批判され、科学者としての姿勢を問う学者もいたからではないかと思われる。

1915年にファーブルは天寿を全うしており、おそらく存命であっても反論しなかった

だろうファーブルに代わり、ジュリアンは私的な書簡を公開することで、多くの人々

にファーブルの研究に対する真摯な姿勢を理解して欲しかったのではないかと考えら

れる。

(ファーブル書簡:ドヴィヤリオ宛て5通目)

親愛なる友へ、

あなたの持つナラの葉に付着した赤い奇妙なものは、おそらくタマバチの虫こぶで

しょう。おそらくというのは、断面を作って劣化させてまで確かめようとは思わなか

ったからです。私はもしあなたが許してくれるなら、この虫こぶを私に要求された他

の昆虫学の資料と共に、パリの博物館に送ることを提案します。

私はナラの葉に付いたタマバチの非常に不思議な虫こぶを知っています。レンズ豆の

様なものもあれば、円盤状で小さなシャツのボタンのようなビーズが付いているもの

もあります。また、茎の根元から出てくるものもあり、樹皮に埋め込まれた小さな

かんらん石が集まっているようにも見えます。これらの多様な産物は、同一種による

ものです。これは、タマバチが交互に世代交代を繰り返し、それぞれが異なる形態や

習慣で特徴づけられるためです。とはいえ、森の中でも本の中でも、あなたのような

珍しいものをまだ見たことがありません。

イベリス属は、種の決定は必ずしも簡単ではありません。私の記憶では、今回提出

された不完全な標本は Iberis linifolia Linné または Iberis Prostéi Loy Will です。後者は

サブレの山中で見つけました。

昆虫記の第四巻はいつ出るのかとあなたに問われました。今年の冬に書こうと思って

いたのですが、私はこの果実が十分に熟していないと思い待つことにしました。

夏には、私ができるだけ多くの光を当てたいと思っている主要なポイントを解明する

ために、研究や実験をしなければなりません。

一緒に過ごせるときには、しばらくの間、裁判所から脱出して、いつものように哲学

しましょう。私としては、カルパントラに行こうという気になるかどうかは甚だ疑問

なのです。テーバイの隠者同様、私は村の家にこもって熱心に働いています。

優秀なプジャードさんによろしくお伝えください。

セリニャン、12月19日 1888年

注:

Cynips:タマバチ科の昆虫のことか。植物に寄生し虫こぶ(Galle)をつくる。

虫癭は昆虫記第八巻下参照。

Iberis linifolia Linné:地中海地方、アブラナ科、岩場で小さいピンクの花をつける。

Iberis Prostéi Loy Will:イベリス属、他不詳。

サブレ:南仏のコミューン、セリニャンから東に直線10キロ程。

テーバイの隠者:キリスト教徒が迫害を逃れ、古代エジプトのテーバイで祈りと懺悔

に専念したという。ファーブルが自身を隠者に例えたらしい。今回はアルマスでの

研究を優先させたいから、こちらに来ないか?と間接的に言っている。

プジャード博士:ドヴィヤリオの義理の兄弟。

 

(ファーブル書簡:ドヴィラリオの従兄弟でカルパントラ裁判官バルシロン氏宛)

拝啓

あなたからの手紙を受け取り悲嘆に暮れています。私の愛するドヴィヤリオは、

その人生と才能のすべてを発揮して私たちの前から去っていきました。

ああ、そうです!これは最高のもののいつもの運命です。

私自身、この思いもかけない喪失に非常に動揺しており、

あなたの苦悩、特に可哀想な奥様の苦しみに同情いたします。

時間だけが彼女を苦痛の深淵から少し引き戻すことができるでしょう。

心からご冥福をお祈り申し上げます。 

セリニャン、1892年9月27日

注:

見落としていた大切な書簡を最後に掲載した。ドヴィヤリオが1892年に逝去していた

とすると40歳代くらいか。病気の記載はなかったが、若すぎるのは間違いない。

研究の協力者で、アヴィニョン時代からのかわいい弟子を失うことは、ファーブルに

はさぞや痛手だっただろう。五通目の書簡から4年経過し、昆虫記の第四巻は前年に

出版されているので、彼の目にも触れていたと思われる。それにしても、長命だった

とはいえ、どうしてこうファーブルは先立たれることが多いのだろうか。

ドヴィヤリオは昆虫記第一巻が出版されたあと、ファーブルの進化論反対の主張を

全面的に受け入れたわけでなく、その結論に難色も示していたという。古生物学的

試料も自分で集めていたので、彼なりの進化論に対する意見は持っていたのだろう。

一方で、ファーブルに代わり進化論者に対する反論もしており、司法関連の仕事を

していたためか、相反する主張を聞ける柔軟な人でもあったのかもしれない。

ファーブルは権威を嫌ったが、勤勉で優秀な人を好んだ。自分にも厳しいが相手にも

厳しさ、勤勉さを求め、努力をしない人は好まなかった。したがって、ファーブルと

交流の続いた生徒らは、そういうファーブルの御眼鏡に適った人たちと言える。

彼らの中にはドヴィヤリオ同様、名を残している人もいるので、引き続き紹介して

いきたいと考えている。