昆虫学者ファーブル雑記帳

フランスの昆虫学者ファーブルに関する話題を書いていきたいと思ってます。

パンゲン説

ダーウィンの話ばかりでブログの本筋から離れるが、ファーブルが昆虫記内に

おいて進化論批判を激しく展開している以上、触れておかざるを得ない。

ダーウィンは「種の起原」の中で、生物が後天的に獲得した能力が遺伝することは

認めているのだが、これは副次的であって、あくまで自然選択によって新しい種が

生まれ進化が進むとしていた。

しかし、ダーウィンは自身の理論を完成させるには、やはりこの獲得形質の遺伝が

起こっていること、そして、それを説明し得るようなシステムを呈示する必要がある

と考えていたようだ。(形質:生物の持つ性質や特徴)

  

ダーウィンの時代に、今なら学校でも習うような遺伝の知識はまだ確立されてない。

親の特徴が子供に遺伝するということや、隔世遺伝のように世代を超えて祖先の特徴

が顕著に現れることも知られていたが、そのシステムは不明のままだった。

有名な遺伝の法則を発見した修道士メンデルは、既に1866年に研究結果を発表して

いたが、マイナーな雑誌だったこともあり見逃されていて認知されるのは1900年に

なってからである。

したがって、それまでは両親の特徴が混ざって融合するような形で子供に遺伝して

いくという考え方が一般的であった。ただし、混ざるということは親の特徴が世代が

進むに連れて薄まっていく可能性があり、隔世遺伝のような場合もうまく説明でき

ない。ダーウィンが生きていた時代はまだそんな時代だった。

 

遺伝のシステムが分からなくても、ダーウィンは生物には個体差があることは承知

していた。「種の起原」の中でなぜ変異が発生するのか、いろいろと推論を述べて

いる。今では化学物質、放射線など外部からの影響以外に、DNA塩基配列変化など

細胞内部の遺伝子突然変異などによって起こることが分かっている。

この異なる特性を持ったものが、その時の取り巻く環境に適応していれば、選択され

数を増やすということで筋は通るので、自然選択理論のみでダーウィンも貫けば

良かった気はするのだが。

異なる特徴を持った変種が最初にどのように現れ、遺伝していくのかというシステム

を説明できなければ自身の理論を完結できないと考えたようだ。

 

ダーウィンはこの変異発生の要因の一つに用不用が関わっているとしている。

植物学者で友人のフッカー宛て書簡 (1844年) ではラマルク(フランスの博物学者)

を強く批判しているのだが、彼の用不用説にはダーウィンも惹かれたのだろうか?

用不用説:例としてキリンの長くなった首がよく引用される)

つまり、身体の中のよく使う部分はどんどん強化され、使わない部分は逆に縮小の

方向に進むというものだ。そしてこれは子孫へと伝わるとしているので、生まれ

持った形質でなくても子供に伝えて行けるということになる。

これは自分の努力や意思で進化が進む可能性もあるので魅力的な考え方なのだが、

この獲得形質の遺伝を肯定する理論については現在は否定されている。

ただ当時は一般的な考え方だったのでダーウィンが取り入れても不思議はなかった。

 

この獲得形質の遺伝を説明できるシステムをダーウィンは考え続けた。

そして、悩みに悩み捻り出したのが、パンゲン説 (Pangenesis パンゲネシス)という

理論である。これは身体の各場所全てにジェミュール (gemmule) という小さな粒子が

存在していると仮定していて、これが獲得した全ての特性を記憶しており増殖する

こともできる。また、細胞膜も通過できるため生殖細胞で保管されることで、子孫

にも伝わっていくというものだ。

なるほど、これが事実ならば後天的に獲得した形質でも遺伝できるかもしれない。

(ただし、確証実験などが後でなされているが証明はできていない)

このパンゲネシスの理論は「家畜・栽培植物の変異」1868年発行に記載されている。

(この邦訳はダーウィン全集第4、5巻 白揚社版で読めるが絶版で入手難)

 

この書籍の刊行後、「種の起原」第6版は1872年に刊行されている。

この第6版は邦訳されているので初版と比較すると、用不用の理論について記載部分

がかなり変更されていることがわかる。

あくまで副次的というのは変わらないが、用不用説が変異の発生や本能の変化に

大きく関わっているとなっていて、パンゲン説の発表によりダーウィンの考え方が

はっきり変化し、獲得形質遺伝の比重が増したような印象を強く受けるのである。

 

ダーウィンが獲得形質の遺伝を認めていることを、ファーブルが昆虫記内で執拗に

批判していることに小生は今まで違和感を持っていた。「種の起原」初版内では、

獲得形質の遺伝をあくまで副次的なものと述べている印象があったからだ。

ダーウィンも考え方は最初から固定していたわけではなくて、揺れ動いていたよう

だが、結局、後天的に獲得した形質も遺伝可能と「家畜・栽培植物の変異」で認め

種の起原」も一部書き換えられるに到っては、ファーブルが昆虫記内でこれを強く

批判したことは筋違いではなかったということになる。

 

しかし、ファーブルは「種の起原」も読み始めてすぐに飽き、内容に退屈したという

ことが伝わっているので、あの厚い作品をすべて読み、さらに1868年に発行された

取っつきにくい題の「家畜・栽培植物の変異」や1869年刊「種の起原」第5版、

1872年刊の第6版など読んでいたかは分からない。

ただ、これらの本が出版された頃と言えば、ファーブルはアカネ染色技術の確立に

苦心していた頃である。その直後にはカトリック教会との諍いからアヴィニョン

追われ、アカネ工業化という夢も砕け散っている。さらに1870年に普仏戦争も勃発

していて、書籍の入手も簡単ではなかったはずだ。そんな中、ファーブルがこれらの

本に目を通す余裕などどこまであったのだろうか?とも思う。

 

いずれにしてもパンゲン説では獲得した形質の遺伝を認め、ジェミュールを通じて

生殖細胞に情報が伝わり、これは胎児の中で父、母由来の情報が混ざり合うことに

なって、いわゆる融合遺伝という当時良く知られていた遺伝方法に帰着する。

したがって、やはりこの融合では親の特徴が世代が進むほどに薄まってしまうという

理論的欠点のカバーはできないままである。

細胞核内には遺伝子DNA が存在し二重らせん構造をとり、RNA 経由で転写・翻訳

され蛋白が作られるシステムや塩基配列に間違いが起こることなど、ダーウィン

知ったらいったい何と言うだろうか。

 

 (p.s.)

Creation というダーウィンの伝記映画があったので鑑賞した。

キリスト教でいう創造を題にしたのは象徴的かもしれない。

発行は10年前だが日本では公開されなかったので英語版しかない。

内容はよく出来ているように感じた。パソコン付きのDVDdrive では再生可能で、

設定調整で英語字幕も出せる。ただし海外からの発送がほとんどなので出品者を選ぶ

必要はある。

また、以下掲載の「遺伝子 親密なる人類史(上)」 2018年 早川書房も参考になった。

 

Creation [DVD]

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  • 発売日: 2010/01/18
  • メディア: DVD
 

 

 

The Variation of Animals and Plants Under Domestication: Volume II

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  • 作者:Darwin, Charles
  • 発売日: 2020/03/23
  • メディア: ペーパーバック